小松敏宏個展『トポフィリア(場所愛)—ジャパニーズ・ハウス』
開催記念トークイベント
中村浩美(東京都写真美術館)× 小松敏宏
日 時: 2020年1月25日(土)18:00〜
会 場: KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY
登壇者: 中村浩美 (東京都写真美術館)× 小松敏宏(アーティスト)
■目次■
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〈Japanese Houses〉
本日は寒い中、お越しいただきありがとうございます。今日から小松敏宏個展『トポフィリア(場所愛)—ジャパニーズ・ハウス』がオープンいたしました。本展の開催を記念して、東京都写真美術館より中村浩美さんをゲストにお招きし、トークイベントを行います。
今回の個展にて発表する作品は、小松さんが1997年にモノクロでスタートされてから実に20年以上の時間をかけて取り組まれてきたシリーズです。2002年にデジタルカラーで再スタートされた後、翌2003年に東京都写真美術館の中村さんの企画で開催されたグループ展『幸福論』で発表されました。2016年、2019年に撮影された新作を含め、個展形式での〈Japanese Houses〉シリーズの発表は、今回が初となります。小松さんからこの作品についてご説明いただけますでしょうか。
折笠:
小松:
初めてお会いする方もいらっしゃるので簡単に自己紹介をさせていただきます。私は今京都に住んでいまして、京都精華大学で2002年から教鞭を執っております。2002年まで何をしていたのかというと、遡ると1997年オランダからアメリカ・ボストンのケンブリッジに移り、MITの大学院の建築学部・視覚芸術プログラムで美術の勉強をしていました。
今回展示している白黒の〈Japanese Houses〉はその当時の作品で、ここからこのシリーズが始まっています。現在はカラーをメインにしていますが、スタートした時の作品ということで2点だけ白黒作品も展示しています。その後、ケンブリッジからニューヨークに引っ越し、2001年9月11日に同時多発テロがありましたが、その翌年までニューヨークで作家活動をしていました。2002年に日本に帰国し、京都精華大学で教え始め、その時にカラーでこのシリーズをもう一度再開しました。
最初になぜ白黒で撮影したかというと、当時の私は大学で白黒の写真術や暗室作業を教えていまして、白黒の技法を使えるうちに使って制作をしたいという思いがあった事がまずひとつあります。またステートメントにもありますが、タイポロジーを代表するアウグスト・ザンダー*1と、ベルント&ヒラ・ベッヒャー*2、彼らの作品を意識した事も理由のひとつです。作品をつくり始めた当時は、パソコンで大きなデータを扱いにくかった事もあり白黒のアナログで始めたのですが、その後カラー作品でこのようにデジタルマニピュレーションするということは想像もしていませんでした。
個展『トポフィリア(場所愛)—ジャパニーズ・ハウス』展示風景
©︎ Toshihiro Komatsu, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
このシリーズでカラーと白黒の違いは何かと言うと、白黒は写真の上に写真を貼り付けたコラージュになっているという点です。フォトコラージュを再撮影してフラットに直すとフォトモンタージュと言われます。ですから一瞬フォトモンタージュと感じるかもしれませんが、正確にはフォトコラージュ作品です。
それ以外のカラーの作品は、フォトショップを使い完全にフラットになっています。また、白黒の時は撮影だけではなくプリントまでを自分で行っていましたが、カラーに変わってからはデジタル出力(銀塩プリント)ですので自分で出来るものではなく、プロラボに発注しています。ですから、白黒の方が手技を感じるかもしれないですし、カラーの方はもう少し突き放したような印象があるかもしれません。
東京都写真美術館『幸福論』
小松:
帰国後2003年に東京都写真美術館で『幸福論』という展覧会に参加させていただきました。その時に企画をしてくださった学芸員がこちらの中村浩美さんです。『幸福論』では、中央の3点とディプティックの作品を展示しました。それ以外のカラーの作品は今回日本で初めて紹介するもので、自分の出身地の浜松の他、京都、滋賀で撮影したものを加えて展示しています。東京で撮影した写真も何点かありますが、今回はスペースの都合上入れていません。
個展『トポフィリア(場所愛)—ジャパニーズ・ハウス』展示風景
©︎ Toshihiro Komatsu, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
実は白黒のバーションだけでも、この空間を埋めるくらいの数量があります。こういったタイポロジー作品の場合、できる限り沢山の比較対象があった方が良いと思いますが、あまりにも多いと窮屈になってしまうので、スペースを考えて16点を選びました。
2003年の『幸福論』の時には、美術館でワークショップも行いました。その時は〈Japanese Houses〉以外に、立体的な作品も展示していましたので、展示室の模型を参加者に作ってもらい、自分の作品を展示レイアウトし、展示空間自体を作品化するような内容でした。当時は中村さんと〈Japanese Houses〉についてお話する機会がありませんでしたので、今回のトークイベント はお話できる機会がようやくやってきたという感じです。中村さんいかがでしょうか?
小松:
中村:
17年越しですね。では、その頃を少し振り返りましょう。
『幸福論』という展覧会を開催した時は、ちょうどその直前に森美術館がオープンし、『ハピネス*3』 という展覧会が開催されていました。いまだに入場者数を超える事が出来ない記録的な展覧会だったのですが、タイトルが少し被ってしまった感じはあります(笑)。当時の私は、写真表現で幸福をどう表現するのかを考えていました。哲学の授業でよく扱われる「幸福論*4」 を引用して、これがどういう時に表現されるのだろうか、もしくは今の時代にどう表現されるのかを考え、作家を選びました。その結果が小松さん、蜷川実花さん、三田村光土里さんの3名でした。
小松さんについてはもちろん最初から展示のイメージが分かっていましたが、この展覧会はお題だけを与えてそれ以外は作家とそこまで細かくは詰めなかったのですが、奇しくも蜷川さんと三田村さんの二人とも家のインスタレーションを会場に作ったのです。東京都写真美術館に来たことがある方はお分かりの通り館内はまったくのホワイトキューブで、その中にポツポツと3つのインスタレーションができていました。
蜷川さんは、外見は普通の白い壁の家を作り、インスタレーションの中に入ると蜷川部屋になっているという展示でした。彼女は皆さんご存知の通りの写真ですので、壁全てが原色の花や昆虫で埋められていて、彼女自身の部屋が再現されていました。もしかしたら日本人ならではかも知れませんが、そこまで「家」というものが幸福論に結びつくとは、と当時私たちも驚きました。そういった展覧会でしたので、結果的に小松さんのやっていることが余計に全体像を象徴しているような形になり、それをすごく面白く感じたのです。
先ほどお話にあった通り、今まで直接対談などはありませんでしたが、展覧会以降も小松さんとは会うたびにザンダーの話やバウハウス*5の話など、家をめぐる話は沢山していました。後で知ったことですが、小松さんのご家族が元々家に関わるお仕事をされていて、そういった環境で育った事も大きく小松さんの制作に影響しているのかと思います。ただ美醜を問うとか、コンセプトを問うだけの作品ではなく、結果的に彼のやっている仕事というのが、日本の現代社会なり、これから先の見え方を暗示しているようにも感じ、今もう一度これらの作品を見直しています。
家について
中村さんのお話にありました私の生家ですが、残念ながら作品としてはありません。先ほど実家とお伝えした作品は2軒目の実家で、私が生まれた1軒目の実家は正面が家具屋で、後ろが自宅という構造でした。古めかしく、しかも増築に増築を繰り返した家なので、様々な場所が繋がっていて子供からしたら本当に楽しくて仕方がなかったです。私の祖父は家具職人で、家を作ることができるほどの木工技術を持っており、生家は祖父が大工さんと一緒に建てたそうです。本当かどうか定かではないですが、5000円ほどで家を建てたという噂で、弟からその話を聞いた時は本当に驚きました。私はそういった場所で育ったわけです。
小松:
Komatsu House, Hamamatsu City
1997 | gelatin silver print, photo collage | 710 × 575 mm
©︎ Toshihiro Komatsu , courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
昔は結婚して嫁ぐ時に、長く使えるようにと100万円以上もする上質な婚礼家具やドレッサーなどが必需品で、祖父はそういった家具を作っていました。今どきは婚礼家具はほとんど買わないですけれども、店の中にドレッサーなどが溢れていてものすごく沢山の彫刻があるような状況でした。私は鏡や木工技術を使った立体作品なども手掛けていますが、ドレッサーが何十台もあると鏡と鏡が反射して、まさに私の作品の原点は生家とお店にあるように感じます。
絵を学ぶ為に入った大学でも、後に立体作品の方へ進むことを選びましたが、それも祖父の血を継いでいるからなのかなとも思います。父も家具を売る方向へ切り替えましたが、最初の頃は家具を作っていました。家具というのは家にまつわる物ですから、家に興味を持ったというのはやはり当然の結果だったかも知れません。
SCOPE20198
2019 | MDF, mirror, alkyd resin paint | 175 × 349 × 504 mm
©︎ Toshihiro Komatsu , courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
シリーズを始めてから20年ほど経ちますが、その間にも日本では「持ち家信仰」のような考え方がなかなか無くならないのはすごく不思議に思います。昔は誰かと生活を共にすることが嫌で個々に住んでいたけれど、今ではシェアハウスなど、あえて他者との繋がりを求めて一緒に住むという選択肢もある。また数多くあるタワーマンションでは、完売御礼であっても、夜になっても電気が点かなかったりする。恐らく誰も住んでいないのでしょう。投資用に買っても、結局は郊外など別の場所に住んでいたりする。社会的背景は変わっていくのに、なぜ人は持ち家にこだわるのでしょうか。20年をかけて家を撮り続けていて、何か変化のようなものは感じますか?
中村:
小松:
確かにこの西麻布の周辺を少し歩いてみても、脇道に入ると狭小住宅が沢山あります。止まっている車を見ると、ベンツやBMWなどの高級車が目立つのですが、家は狭小住宅という構図。そこまでして都心に家を持ち続けて住みたいという考え方は、日本ならではですごいと思います。パリ、ニューヨーク、アムステルダムなど他の都市ではほとんどが集合住宅です。
東京藝大の初代学長の岡倉天心*6という人がいますが、彼は本名の岡倉覚三という名前で、1910年頃に「The Book of Tea*7」という茶の本をアメリカで出版しています。私の勤める大学でも度々教えに来てくださっている木下長宏さんによる新訳が最近発表されたのですが、そこで岡倉覚三が家について書いていた内容が非常に興味深かったです。茶室についての記述のなかに、家について書かれていたのですが、昔は人は誰でも「自分の家」を持つべきだと、夫婦になったら新たに家を持つべきで、その家の主人が亡くなった時にはその家は壊すべきと考えていたそうです。
それは神道の清浄さを重んじる考えに由来し、「人が亡くなる=穢れる(けがれる)」という考えから家が燃やされていたと書かれていました。式年遷宮*8のように都が移動したという話とも繋がっているそうです。しかしその後、奈良時代に中国から非常に頑丈な建物を建てる方法が伝わり、永続するような建築手法が入ってきたことで、そういった家に対する考えや習慣が失われていったそうです。
私も学生時代に茶の本は読んでいましたが、まさかそのような記述があるとは思っていなかったので非常に興味深かったです。奈良時代以前の家はもっと粗末なものだったので、災害などで壊れたら作り直すのが当たり前だったのです。だから結局、日本では「家は仮の住まいで、土地だけあれば良い」という考え方が根強いのではと思います。おそらく「家」というより「土地」に執着する傾向が日本人には強く、同じ場所にずっと居たいという人が多いのでしょう。先日の台風19号が直撃した際にも、避難するのは不安だからと自分の家に残り、結果的に被害に遭われた方が多かったと聞きましたが、やはり家から離れることが不安なのかと思います。
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*1 アウグスト・ザンダー:August Sander (17 November 1876 – 20 April 1964) は、ドイツの人物写真(ポートレイト)および記録写真家。
https://en.wikipedia.org/wiki/August_Sander
*2 ベルント&ヒラ・ベッヒャー:Bernd Becher(20 August 1931 – 22 June 2007)、Hilla Becher(2 September 1934 – 10 October 2015)は、ドイツ人アーティストで工業用建築物の撮影や、タイポロジーフォトグラフィーにおいて最もよく知られた二人。
https://en.wikipedia.org/wiki/Bernd_and_Hilla_Becher
*3 『ハピネス:アートにみる幸福への鍵 モネ、若冲、そしてジェフ・クーンズへ』(2003-2004年、森美術館)https://www.mori.art.museum/contents/happiness
*4 アラン「幸福論」(1925年):健全な身体によって心の平静を得ることを強調。すべての不運やつまらぬ物事に対して、 上機嫌にふるまうこと。また社会的礼節の重要性を説く。 https://ja.wikipedia.org/wiki/幸福論
*5 バウハウス(ドイツ語: Bauhaus):1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。
*6 岡倉天心(1863年2月14日 − 1913年9月2日):日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三。幼名は岡倉角蔵。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%80%89%E5%A4%A9%E5%BF%83
*7 「The Book of Tea」:米国ボストン美術館で中国・日本美術部長を務めていた岡倉天心が、日本の茶道を欧米に紹介する目的でニューヨークの出版社から刊行した。茶道を仏教(禅)、道教、華道との関わりから広く捉え、日本人の美意識や文化を解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E3%81%AE%E6%9C%AC
*8 式年遷宮:神宮式年遷宮は、伊勢神宮において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)のことで、神社の本殿の造営または修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移すことである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE