top of page

内倉真一郎 個展『忘却の海』開催記念トークイベント

タカザワケンジ氏 × 内倉真一郎

〈延岡での写真〉

 

延岡での写真

それにしても精力的に作品を制作されていますよね。初期の頃からストリートスナップだけではなく、ご自身がモデルになってセルフポートレートを撮ってみたり、そういうのは次々思いついてやらずにはいられないんですか?
 

タカザワ: 

そうですね、環境が変化するタイミングが制作が変化するタイミングでもあるなと改めて思うのですが、父は写真を撮る僕のことが好きだったんですよね。好き勝手やれといってくれていたのですが、母からはじめて父が難しい状況だということと、姉もひとりで大変そうだということを聞かされて「作品は地元では撮れないの?」と言われました。今まで好き勝手させてもらっていたので、じゃあ戻ろうかなと思いまして、そこがきっかけです。新宿の街並みを撮っているカラーのシリーズがあるのですが、これからは二度とストリートスナップは撮らないと決めて、これを最後に撮ろうと思ったんです。要は、地元に帰ってもストリートもなにもないので。
 

内倉: 

僕も地方出身なのでよくわかります。
 

タカザワ: 

地元に帰って、はじめて写真館の仕事というものを知って、じゃあ作品はなにをしようかと考えたときに、約1年ほど悩んだ時期がありました。そこからポートレートになっていったんですよね。
 

内倉: 

なるほど。
 

タカザワ: 

本当にお話を伺っていてそう思います。その場でしかできないことをやり切ったからこそ、これらの作品がありますから。
 

河西: 

黒バックにはどこにでも売っていそうな安い布をガムテープを使って外に貼って撮影しているのですが、僕は基本的にストロボが好きではないので、太陽光で人を撮って、背景については自分にいい聞かせていたんですよね。今までずっとストリートスナップを撮っていたので、地元に戻っても背景に大きなビルだとかキャバクラ譲だとか人混みがないだけで東京と変わらないんだといい聞かせてきたんです。じゃあ、今まで自分が感じてきたのはなんなのかと考え、それをすべて被写体に入れてやろうと思って、だから背景は無地でいいんだと思い、そこから黒バックをはじめたんです。
 

内倉: 

お父さんはあのポートレートのシリーズをご覧になったんですか?
 

タカザワ: 

もちろんです。
 

内倉: 

すごく喜んだんじゃないですか? 内倉さんが撮っていたのは正統的なポートレートで、さらに黒バックといえば秋山庄太郎先生ですからね。きっとそういったクラシックなテイストはお父さんもうれしかったんじゃないでしょうか。
 

タカザワ: 

ポートレートのシリーズでは父のことも撮っているのですが、作品を見て「これいいじゃん」とは言ってましたね。喜んでくれたんだと思います。
 

内倉: 

そうですよね。ストリートスナップは僕も大好きですけど、直感的に撮影するため、個性が出しづらい。たしかに上手い下手はあるんですけど、でもやはり東京で撮ったら東京のスナップですからね。だからどんなところで差をつけるのかというと、30年とか40年とか撮りつづけて量と質を見せつけるしかない。年を重ねたときに、何十年も前から撮り溜めていた写真をまとめて評価される。コンセプトを立てて作品をつくるのに比べると認められるまでに時間がかかる。

内倉さんの場合は、ストリートスナップが撮れなくなったときに、制約がある中で考えた結果がこれらの作品だと思います。やはり拠点を変えたことが転換点になりましたよね。

 

タカザワ: 

やはりかなり正統的ですよね。アーヴィング・ペンも、リチャード・アヴェドン*28も、やはり自然光を重視して撮っていますからね。僕は内倉さんは写真館に生まれて写真が好きで、きちんと学校でも写真を学んでいてという、写真界エリートだと思っていたんですよ。でも今お話伺った感じだと、ドロップアウトして、そのなかで作品作りに目覚めて、そこから写真館という場所が作品をつくる場として有効だと気づかれたと知って驚きました。
 

タカザワ: 

そうですね。気がついたら制作していました。今となっては地元に帰ってよかったなと思っています。本当にずっとスナップショットばかりを撮っていたので、スタイルを変えざるを得ない状態だったんですよね。想像しながら被写体や撮り方も試行錯誤して、そういう意味で地元に戻ってからはガラッと変わってしまいました。
 

内倉: 

ストリートスナップをつづけていた方が難しかったかも知れませんね。
 

タカザワ: 

「命」と写真

〈「命」と写真〉

 

実は『十一月の星』は僕も学生たちに見せて説明するんですけど、写真作品を考えるうえで示唆的です。なぜなら誰でも自分の子供って可愛いんですよ。多分、世の中の親って子供が生まれると写真をたくさん撮ると思うんです。ただ、それを第三者が見て、子供が可愛いという以上のことを感じられるのか、そこでなにをシェアできるのかというところがやはり作家の仕事で、『十一月の星』にはそれがある。それが何かというと、「命」の問題ですよね。
 

タカザワ: 

8_©SHINICHIROUCHIKURA002.jpg
8_©SHINICHIROUCHIKURA010.jpg

『十一月の星』より
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

ステートメントにも「人間は産まれた瞬間から、絶対に避けられない死に向かっています。」と記載されていますし、ある種の人生論のようなこともお書きになっている。決して流れるのをやめない時の流れを塞き止めるのが写真であり、写真を見たときにそれぞれの持つ過去の記憶にアクセスできるということが写真の強みです。だから僕はこのシリーズがまさに内倉さんの作家宣言でスタート地点だなと思っていて、そこで思い出すのが森山大道なんですよ。
 

Screen Shot 2022-06-28 at 17.37.29.png

『無言劇 パントマイム』より ©Daido Moriyama Photo Foundation
WEB 太陽

森山さんの原点と言える作品はホルマリン漬けの赤ちゃんを撮ったシリーズです。ホルマリン漬けの赤ちゃんは命の象徴であり、時の流れの中で同じかたちを保ち続けるという点で写真のメタファーでもある。だから、森山さんはキャリアの始めから、写真とはなにかを問い、死のメタファーとして写真を見ているところがあると思うんです。

それに対して内倉さんはその逆で、写真というのは生きるための希望であり光であり、そこから出発すべきなんじゃないかというのが『十一月の星』なのではと思うんですよね。巨匠たちの作品を参照しつつ、それをなぞるのではなく、個性を発揮するのは簡単なことではありません。しかし、内倉さんは果敢に挑戦し、その成果を作品にしています。

 

ありがとうございます。
 

内倉: 

8_©SHINICHIROUCHIKURA008.jpg

『十一月の星』より
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

質疑応答

〈質疑応答〉

 

ステートメントの最後に「ひたすら歩く。怒りもなく、失望もない。」とありますが、人間が手放したものによって地元の海がこのような状態になっていることについて、告発したいという気持ちはなかったのでしょうか? どちらかというと、ありのままを撮って、見てくれる人に委ねているということなのかなと思ったのですが。先ほどグレートーンの話でもありましたが、力強くなにかを訴えようとはせず、割と淡々と提示しているので、どういう心境でこのシリーズに取り組んだのか伺いたいです。
 

質問者1: 

そうですね、ステートメントにあるその言葉は、先ほどもお話させていただきましたが、捨てられた物たちが可哀想だとか、捨てる人が悪いとか、そのまま放っておく現代社会とはなんなのかとか、それに対する怒りとか失望はなくて、こんなところで僕は生きていくんだなどの気持ちもないです。そこに在るものがただただ美しくて格好よくて、撮っていたということです。
 

内倉: 

現代文明のある種の歪みというのでしょうか。だけど、僕たちもそれに慣れきってしまっている。高度経済成長のいろんな公害事件があったころは、みんなでそれを止めようと大きな声でいえたけど、現代では環境保護のコストをどうするかという問題がついて回る。

正義と悪の二元論では割り切れない。そこで生まれる複雑な感情をどのように作品に織り込むかといったら、画面の中にいろいろな物が入ってくるという戦略にまさに発展したのかなという気がしましたね。『Collection』は美しすぎると感じるひともいるかも知れないし、オブジェとして見ているだけでいいのかということに対するある種のアンサーかなと思います。

ちなみに、先ほどさらっといっていましたけど、新世紀のプレゼンのときに選んでくれた人から結構きついお言葉があったとのことですが、あれは清水穣*
29さんですか?

 

タカザワ: 

そうですね。清水さんは一番最初に宮崎で撮っていたポートレートを褒めてくださいました。
 

内倉: 

そうでしたね。その展示は京都で見ました。澤田知子さんは、選んでくれたにも関わらず厳しかった? なんて言われたんですか?
 

タカザワ: 

「格好いい」と内倉さんはよく仰いますね。格好いいと感じるとはなんだろうと漠然と疑問に思いました。わたし自身、ギャラリーをやっていると美しいとはなんなのかと考えることがあるのですが、人間でいうと一番平均的な顔がその時代の美しさであるという話もありますけど、夕日を見て美しいと感じたり、自然を見て美しいと感じるのは、人種やカルチャーなど関係なく本能レベルでみんな美しいと感じますよね。わたしが仕事をする作家さんは面白いと感じる瞬間と、美しいと感じる瞬間を判断基準として大切にしている方が多いのですが、内倉さんはここぞというときに「格好いい」を使うんですよね。だから内倉さんのなかで大切にしている格好いいとはなんだろうとこの2つの個展を通して考えています。
 

河西: 

澤田知子*30さんですよね?
 

河西: 

ええと、まず、「これはピンぼけじゃないですか」と言われまして、これはピンぼけじゃないんですと思いながら聞いていました。それから、これはすべて僕が悪いのですが「言っている情熱は分かりますが、作品とステートメントが全然違いますので」と言われまして、かなり辛かったのですがとにかくちゃんと立っておこうとだけ思っていました(笑)。
 

内倉: 

(笑)
 

一同: 

でも数日後に澤田先生からメールをいただいたんです。そこには、特に海外のアーティストは、ステートメントは作品のプレゼンテーションをするためのツールとして大切に考えていて、だから書き上げるまでにすごく勉強をしているなど、詳細について書かれていました。
 

内倉: 

優しいですね。
 

河西: 

トラウマになっているんですね(笑)。
 

タカザワ: 

それから今度神戸に来ることがあれば遊びに来てくださいとも書いてありました。実際には一度も遊びに行けてないのですが。
 

内倉: 

そうですね。内倉さんの作品は素晴らしいのですが、タイトルとステートメントが苦手なんだろうなと私も思っていました。
 

河西: 

それはね、少し難しいところがあるんですよね。というのも、内倉さんは写真家じゃないですか。やはり現代美術のフィールドで写真を使っている澤田さんのような方は、学生時代から「作品をどう語るか」と常に考えているし、コンセプトがないと作品はないけど、写真家は撮ったらそこに作品がありますから、コンセプトがなくても写真はある。すでにある写真からコンセプトを見いだすのは大変な努力が必要なんです。だからそのショックな出来事がいい機会になりましたよね。澤田さんは本当に世界で渡り合っている方ですから。
 

タカザワ: 

先ほどの話のなかで、そのショックな出来事から2年間自分のプリントを見ていなくて、今年2月に展示のお話をいただいてようやくプリントを見返したとありましたよね。その時間の蓄積があったから、客観的になぜ自分はこうしたのかと考えられたし、今回の新シリーズを制作するに至ったということを考えると、人生に無駄なものはないんだなと思いました。
 

河西: 

そうですね。
 

内倉: 

なんだか人生論のような話になってしまいますが、、先ほど褒められて伸びるとはいいましたけど、いい意味でけちょんけちょんにされるということは結構あるんです。
 

内倉: 

(笑)
 

一同: 

今日はEMON Photo Galleryのディレクターの小松整司さんがいらしていて、僕いま小松さんが居るだけで緊張しているのですが、EMON AWARD*31でグランプリを頂いたときも、そのような経験がありました。

当時は、まだコロナがなかったのでひとつの空間に50人くらいの人とたくさんの審査員の方がいて、距離感もとても近くて、プレゼンテーションが終わった作家たちが死んだような顔で戻ってくるんですよ(笑)。自分の番が来たときには、そこは自分なりにいろいろと工夫してプレゼンをしましたけど、そのとき僕はグランプリを獲れなくていいやと思っていたんですよね。それが、グランプリが僕に決まってからは、審査員の方からは厳しいご意見もありましたし、なによりその後、グランプリ受賞者の個展を開催するまでの期間にどれだけのものを作らないといけないのだろうと思いましたし、作品を見せる責任感などもあり、小松さんからはそういったところをスパルタ的に教えていただきました。だから決してエリートでもなんでもないんです。

 

内倉: 

uchikura_kkp2022_sea_033.jpg

©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY, photo by Yoshiaki Nakamura

ほかにご質問のある方はいらっしゃいますか?
 

河西: 

内倉さんはすごく精力的に作品集を刊行されていると思うのですが、作品集に載っている作品と、いま実際にある作品と、どのような違いがあるとお考えでしょうか? それぞれの作品にどういった思いがあり、違いがあるのか、どういった捉え方で作品を提示しているのかを伺いたいです。
 

質問者2: 

僕は、エキシビジョンはライブだと思っているんですよ。ミュージシャンや劇団のライブのような、そのときしか味わえない究極のライブだと思っているんです。それで、ライブと並行して写真集がありますよね、だからといって写真集を軽い扱いにしている訳ではないですが、単純にその差があります。だから、生のライブで見せたいものが僕にとってはエキシビジョンで、写真集は僕にとってパスポートのようなものです。十一月の星でもいいましたが、人間はいつ死ぬか分からないじゃないですか。だからこそ、なにか残していきたいという思いが特にコロナ禍が始まってからは強烈にありまして、今までの全シリーズを物として残そうと思ったんです。
 

内倉: 

そうですね、プリントと作品集の違いでしょうか?
 

河西: 

実は、僕は3歳から中学3年生まで絵画教室に通っていたんですよね。
 

内倉: 

そうだったんですね。初めて知りました。
 

河西: 

内倉さんの作品ってすごく格好いいという印象があるのですが、写真館で生まれて、幼少期は写真に限らずなにかアートに触れる機会はあったのでしょうか?
 

質問者3: 

それも半分親の強制で通っていたんですけどね。そこの油絵の先生が、戦時中に宮崎で起きた延岡大空襲*32についてたくさん描いていて、人間の内臓が飛び出していたり、血が飛び散っているような絵がそこら中に飾ってあったんです。その環境で「リンゴを描いてください」と言われていました。
 

内倉: 

(笑)
 

一同: 

最初は戸惑いましたけど、毎週1回通っているので、時間が経つにつれてその環境には慣れてくるんですよね。そんななかでいちばん強烈だったのは、僕が小学4年生ごろにリンゴを描いていたときです。究極にきれいに描けたと思っていたときに、僕が見本にしていたリンゴを、先生が目の前で潰したんです。昔の人なので、タバコを吸いながら酒を呑みながら教えているんですけど、潰したリンゴを見て「これもリンゴだ、内倉!」と言われました。それは強烈に覚えています。それくらい熱い人だったんですね。それで、これもリンゴだから描きなさいと言われました。
 

内倉: 

(笑)
 

一同: 

小さくまとまるんじゃないという思いだったんでしょうか(笑)。
 

タカザワ: 

どうでしょうか。それが写真家として影響しているのかは分かりませんが、そういった経験はありました。
 

内倉: 

わたしもはじめて聞くお話がたくさんありました。それだけ強烈に記憶にあるということは、なにかしら影響を受けていそうですよね。本日はEMON Photo Galleryの小松さんにもお越しいただきましたが、小松さんは内倉さんの作品を初期からずっとご覧になっていますよね。今回の作品はどのように感じましたか?
 

河西: 

そうですね、僕は2018年に『十一月の星』ではじめて内倉くんと出会ったわけですよ。そのときはモノクロームで自分の赤ちゃんが生まれたシーンを撮って、そこから数々のコレクションを出して『私の肖像』も見させてもらいましたけど、正直にいうと彼の作品は暑苦しくて嫌いだったの。
 

小松: 

(笑)
 

一同: 

なんというか、俺を見ろ感が強いんだよね。それでこの新作について内倉くんから連絡があって「小松さん、もし嫌じゃなかったら見てください」と言われたんですよ(笑)。今までは非常にコントラストが強いし、肌の質感やオブジェの立体感みたいなものを強調したりだとか、命のエネルギーみたいなところだったんだけど、今回はじめて写真を心で撮ることができるようになったんだなと思ったんです。これが一皮剥けるということなのかなと思いました。上から目線な言葉ではなくて、ハートで撮るということを彼が見つけたんじゃないかなと思ったんです。だから生々しい程に美しいんだなと、すごく美しい作品を作られたなと思いました。
 

小松: 

ありがとうございました。
 

河西: 

ありがとうございます。はじめて褒められました(笑)。
 

内倉: 

それではトークはこちらで終了とさせていただきます。今回は皆さま本当にありがとうございました。
 

河西: 

​1  3 

​——————————————————————————————————————
*28   Richard Avedon:アメリカ合衆国の写真家。 ファッション写真およびアート写真の分野で大きな成功を収めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A
*29   
清水穣:日本の写真研究者、同志社大学教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E7%A9%A3

*30   澤田知子:兵庫県神戸市出身の写真家。成安造形大学客員教授。セルフ・ポートレートの手法を用いた写真表現を行う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%A4%E7%94%B0%E7%9F%A5%E5%AD%90
*31   EMON AWARD:公開審査形式のフォトコンペティション。グランプリ受賞者には、副賞10万円とエギシビジョンカタログの制作、3週間の個展開催の権利が与えられる。
https://www.emoninc.com/award-1
*32    延岡大空襲:第二次世界大戦(太平洋戦争)末期に宮崎県北部の延岡市で行われたアメリカ軍による空襲。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%B2%A1%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
 

脚注

文・編集・ウェブアーカイブ/小林萌子 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)
校正/折笠純・河西香奈 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)
文責/河西香奈 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

bottom of page