内倉真一郎 個展『忘却の海』開催記念トークイベント
タカザワケンジ氏 × 内倉真一郎
〈『Collection』から『忘却の海』へ〉
海もあります。海や道端、近所などで撮影しました。
内倉:
『Collection』のシリーズは海では撮らなかったんですか?
河西:
これを撮るときに、背景を入れるのか、黒バックなのか、白バックなのか、いろいろと考えるじゃないですか。そこについてはどのように考えましたか?
タカザワ:
では、そこから今回の『忘却の海』へ移行したのはどのような展開があったのでしょうか?
河西:
まず、2018年に『Collection』で、キヤノン写真新世紀*16の優秀賞をいただいたんです。そのグランプリのプレゼンテーションを東京都写真美術館で行ったのですが、目の前には300人くらいの方々がいて、僕はかなり緊張していました。そんなときに、このシリーズを優秀賞へ選んで下さった方から、思いのほか強い意見をいただいたんですよね。正直かなりショックで、それからそれらのプリントは見ていなかったんです。その後、なんともいえない気持ちのまま次のシリーズの『私の肖像』が始まり、その延長線上でこちらで7月から始まる『浮遊の肖像』というシリーズを昨年制作していました。
そんな中で、今年の2月にキヤノンギャラリー Sでの展示についてお声がけいただきまして、そこに向けてあらためて『Collection』のオリジナルプリントを並べてみたのですが、そのとき初めて実は今までまともに見ていなかったことに気づきました。それらを見て、「なぜこのシリーズでは砂や周りに一緒に落ちていたゴミなどをいちいち省いていたんだろう」と思って、そこから急に始まったんです。ですから、この『忘却の海』が始まったのは本当に最近で、2月末ごろだったと思います。
内倉:
そうですよね。その後、個展についてご希望いただいたのも4月ごろだったと記憶しています。
河西:
なるほど。だからただの真っ白な布ではなくて、そこにゴミの周りにあったものをいろいろと配置しているんですね。
タカザワ:
『Collection』のときは、図録や標本のように光さえも吸い込んでくれるような黒ということを考えていました。ただ、その黒は砂粒ひとつでも鮮明に写ってしまうので白い布に替えたんです。そういった違いですね。
内倉:
The Sea of Oblivion #002
2022 | archival pigment print | 1000 × 1000 mm | ©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
そうですね。作業的なやり方としては、とにかくすごく汚れるので、作業現場にあるような長靴を履いて、カメラバックにはカメラを1台だけ入れて、トングとスコップを持ち、軍手をしてひたすら歩いて落ちているものを探すという流れです。海水浴場ではなく、海一本に絞ろうと思っていたので、ひたすら2、3時間ほど歩きながら面白いなにかを見つけたら撮って、それが終わったらまた別の海に行って同じことを繰り返すといった動き方でした。
内倉:
そうですか。『Collection』ではそのものを綺麗に見せたいし、そこに光が吸い込まれていくような感覚が欲しかったから黒バックを使っていたけど、今回の『忘却の海』では白バックの上にご自身でものを配置して画面をつくるという作業も含めて、演出し、制作したということですよね。
タカザワ:
そうですね。白というものが光を反射するので、物の美しさが白だとより鮮明に伝えられるなと思い使用しました。それから、僕は制作をする前にカラーかモノクロかどちらで撮るのかを必ず決めてからはじめます。なのでカラーで撮って、あとからモノクロに変えるということは絶対にしません。
また、フィルムカメラで撮っている気分でいたいので、モノクロと決めたらRAWデータ*17を設定せずにJPEG*18一本で撮影して、取り返しがつかない作業というのも含めて、腹を決めて撮影しています。今回のシリーズでは、海藻や砂つぶ、さまざまな種類のビニールなど海に落ちているいろいろな物のディティールが美しく映り、白の背景が光を反射して、ちょっとした透過光*19のように綺麗に映るのはなにかと考え、モノクロを選択しました。
内倉:
スコップで拾って置いているんですよね。
河西:
The Sea of Oblivion #001
2022 | archival pigment print | 1000 × 1000 mm
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
The Sea of Oblivion #007
2022 | archival pigment print | 1000 × 1000 mm
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
なぜモノクロなのか。見る側として感じたことは、物のディティールとフォルムをきちんと見せたいという考えです。やはり色が入ってくると、色に目を奪われてしまうけれど、そのもののフォルムや存在感、質感のようなものを表現するためにモノクロを選んだんだと思ったんです。それと同時に連想したのがアーヴィング・ペン*20です。
ちょうど、先日KYOTOGRAPHIEで展示していましたけど、彼のタバコのシリーズがありますよね。プラチナプリント*21で、とても綺麗なのですが、彼もゴミを拾って撮っていたんです。ゴミをプリントにするととても綺麗に見えるので、それがアートに変換するということをやっていました。
タカザワ:
その発想は内倉さんと似ていると思いますけど、やっていることはより複雑で、より情報量多く、ゴミというものの存在感を組み立てることによって表現するという「つくる写真」になっているなというのが内倉さんの今回のシリーズの特徴ですね。特にこの内臓が飛び出ているように見える組み合わせ方だったり、見ていると面白いですし、物語性があるなと思います。それぞれにストーリーが浮かびそうな気がしますね。
The Sea of Oblivion #006
2022 | archival pigment print | 1000 × 1000 mm
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
The Sea of Oblivion #017
2022 | archival pigment print | 500 × 500 mm
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
このギャラリーでは、展示内容によっては壁の裏側も使用するのですが、今回も3点の作品をそちらに展示しています。その3点というのは、生きていたものの死んだあとの姿が生々しく写っているのですが、設営のときに内倉さんの方から「これらは強すぎるから展示から外そうと思っている」と聞いて、わたしとしてはすべて残したかったので、壁の裏側を提案しました。配置が決まると、この空間が非常に良くまとまったなと思いました。
河西:
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY, photo by Yoshiaki Nakamura
昔からそうだったんでしょうね(笑)。
タカザワ:
わたしはこれらの作品を見ていて「終わりは始まりである」と感じたんです。それは、ゴミがアートにもなることもそうですし、この作品に写っているものがそのように感じさせたんですよね。そういった考えはあったのでしょうか?
それはそのとおりです。基本的にはすべて終わったものたちですので。先ほどもお伝えしましたが、海水浴場は基本的にボランティアの人たちや市役所の人たちが、お金を掛けてかなり綺麗に保っていますが、少し離れると誰も寄りつかないようなまったく違う場所があります。そこには、どこかから流れてくるものと、不法投棄されたものがたくさん残されています。地元のおじいちゃんおばあちゃん達は、捕まえたイノシシなんかでバーベキューをするんですけど、そのときにも全然悪気なく、いらない骨や皮などをその辺に捨てるんです。それがそのまま放置されていますが、こういったことが普通なんです。
内倉:
そうですね。だから、僕からしたら海辺のそのままの姿が、それが東京だろうが延岡だろうが、これこそが現代だよなと思うんです。それを伝えたいなと思っていました。かといって、ゴミ捨て反対だとか、不法投棄反対だとか、そういったことではなくて、ただただそこにある物たちがとても美しくて、古着でいうとビンテージ物のめちゃくちゃ格好いいものを見つけた感覚に近くて、僕はとにかく撮る瞬間は格好いいなと思ってシャッターを切っています。
内倉:
〈画面構成のこだわり〉
内倉さんの初期作品を見て考えを改めたんです。『十一月の星』や『私の肖像』は、基本的には撮りたい被写体がすでにあって、それをどう捕まえにいくかという写真だったと思いますが、初期のストリートスナップ画面のなかに被写体をどう配置するかなど、画面構成を考える時代があったんだろうなと思いました。そういう意味では、昔から画面構成のことを考えたうえで、中心となる被写体をどう表現するかということに取り組んでいたのではないかなと思ったのですが、構図ということに関してはどうお考えですか?
タカザワ:
ありがとうございます。僕は、縦位置の写真は断定的であるという中平卓馬*22さんの言葉が鮮明に頭に残っているんです。縦位置は、完全に断定されたものでそれ以上横の広がりもなにもなくて、ただそのままであるという僕のなかの定義がありまして、一方どこまでも広がっていくようなものが横位置なのですが、そこを意識しています。
内倉:
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
だから横位置に関しては構成をかなり複雑にするようなものが入っていると。では、今回は正方形だからその中間という感じですか? 写真的にいうと、正方形というのはどうしても中心ができてしまうので、そこから放射状に伸びていくということで画面構成していく人が多いのですが、内倉さんも同じく広がっていくような構図が多いですね。正方形にしたのはなにか理由がありますか?
タカザワ:
実は作品を正方形にするのは今回がはじめてです。フォーマットも撮る前に必ず決めていて、最初は縦か横かと考えていたんですけど、でもよく考えたらこのシリーズはまず僕が格好いいなと思ったものを拾って、周りにあるプラスティックや割れたガラスなどの同じ仲間は気がついたら集めていて、それらを配置したときに、これには縦の断定も、横の広がりも必要ないなと思ったんです。これは正方形に収めた方が見たときにいいと思ったので、はじめて正方形を選びました。
内倉:
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY, photo by Yoshiaki Nakamura
だからユニバースというか、ひとつの世界としてですよね。曼荼羅*23なども正方形のフォーマットでひとつの世界をあらわしていますから。そういう感覚で正方形なのかなと見ていて思いました。ものが配置されていて、そこから外へどう広がっていくかという想像を膨らませながら、でもやはりまとまりもある。ではグレートーンは、白の反射を意識しているからということなのでしょうか?
タカザワ:
それもありますが、モノクロにしたときに、撮影したものをそのまま作品にするのではなく、どの部分をどのトーンにするのかの作業があります。たとえば、暗室作業でいうと、ここが焼き込み*24で、ここが覆い焼き*25で、ここの部分だけコントラストを上げてということを瞬間的に暗室の台のうえでパッパッとする手作業がありますが、それとデジタルレタッチとはなにも変わらないんです。ですからそれらを計算して、このビニール袋はこのくらいが非常に美しいなとか、そういった感覚でトーンを決めています。
内倉:
オールオーバーだと、方向性がどれでも成立するものがこの中にもあると思うのですが、天地の位置は撮影したときの位置で決めていらっしゃるんですか? それとも、作品になってからこの向きがいいなと決めているのでしょうか?
河西:
デジタルだと白く飛んでしまったらもう取り返しがつかないですからね。
JPEGなので絶対に無理ですね。そういった意味で少し暗めに撮って、絞りもF22*26くらいまで限りなく絞って鮮明に映るように気をつけていました。
内倉:
タカザワ:
初めから決めています。やはりそこも撮る前から決めたいので。なので、あとから右回転したら面白かったということはないです。
内倉:
では、撮影したときから元のイメージが全体的に明るいトーンだったということですね。そこに加えて暗室作業と同じように細かく手を入れているだけなんですね。
タカザワ:
そうですね。撮っているときに心がけているのは、要はJPEGなので、少し暗めに撮っています。そうすることによって、あとからトーンを上げたい部分を変えられるので。
内倉:
〈写真家になるまで〉
内倉さんは「写真家」だなと思うんですよ。僕は「非写真家」という活動をしているんですが、写真家というのはある種ハンターで、なにかを捕まえにいく人だと思っています。そういう人達は、あとからひっくり返したり、変更するってことがあまり好きじゃない。その瞬間が大事なんです。だから内倉さんは写真家だなと思う。技術的なことも含めて、撮影することについてのこだわりがとても強いですよね。
ありますね。
内倉:
タカザワ:
ですよね。テクニック的なことを見ていてそう思います。内倉さんは家が写真館ですよね。お父さんの仕事など、子供のころから写真には触れていたんですか?
タカザワ:
父はもう他界していますが、父は元々土門拳さんと、秋山庄太郎*27さん、特に秋山さんにとても憧れていたんです。それで父が20歳のときに、秋山庄太郎さんの事務所の前で2日間立っていたことがあるんです。
内倉:
弟子入りだ(笑)。
秋山庄太郎さんの《ジプシー・ローズ》というポートレートがありまして。
内倉:
タカザワ:
(笑)
一同:
有名な写真ですね。女優さんのポートレートで一世を風靡した写真家でした。
父は女性のポートレートを撮りながら飯が食えたら最高だなと思っていたんです(笑)。でも、秋山さんの事務所の前に立ってから2日後に、僕のおばあちゃんが心配になって帰ってこいと手紙を送ったそうです。それで父は帰ったんですが、どうやったら地方で女性を撮れるんだろうと考えて、写真館だったら女性の人たちが来てくれると。それだけの理由で写真館を始めたんです。
タカザワ:
内倉:
すごく分かりやすい(笑)。
タカザワ:
会社を始める人って好きなことから入ってしまう方も多いですけど、父もそれだけの理由ではじめました。それで、写真館は一般の人たちが休みの土日祝日にお客さんが1番多いんですね。だから僕は父親と遊んだという経験がほとんどなくて、だからといって捻くれたなんてことも全然ないですけどね。成人式のときなんかに、父が女性のお客さんを前にして大きな声で笑って、やたらとテンションが上がっていた様子を僕は小さいころから見ていました。あとはスタンドや、ちょっとした機材なんかをおもちゃ代わりにして遊んでいましたね。
内倉:
(笑)
一同:
©︎ Shinichiro Uchikura, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY, photo by Yoshiaki Nakamura