鈴木隆志個展「人間ホイホイ」トークイベント
「あらゆることが、なんとなく: 無意識と普遍性を考える 」
■目次■
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神頼みについての続き
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神頼みは緊張と緩和が関係するというさっきの話に関連しているのですが、私は5、6年前から毎年初詣をするときに「これは努力ではどうにもならないな、神頼みしかないな」と思うことを具体的に絵馬に書いてお願いするようにしています。そしたら、毎年その願いが叶っているんですよね。
それは確率的な話でもありますよね。カルトに入ってしまう人も最初は占いが当たったから、とかってありますよね。あとは、意識が目標に集中するっていうのもあると思います。
これも、人が勝手に規則性を見出してしまうことの表れですよね。
ところで、「運」って存在するんでしょうか?
運は人の思い込み次第じゃないでしょうか。例えばこのトークができたことをラッキーだと思うか、「何でこんなことするんだろう、緊張するな、嫌だな」と思うのかでこれは運は変わるんじゃないですか。
「運がある/ない」っていう風に考えたいだけなんでしょうね。でも、なかなか学生には「これを思っていたら叶うよ」とかは言えませんね(笑)。
そう考えると、芸術の先生って難しいですね。
そうですね。「努力すれば良いものができる」とかっていうものでもないですし。夢ばっかり与えても仕方ないですしね。
金銭的な報酬
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鈴木くんは以前、「作品なんか売れなくていいんだよ」と言っていましたよね。なぜなら、売ることを目的に作っていないし、お金は別の仕事で稼ぐから、と。最近はどうなんでしょうか?
最近もお金に関しては気にしていないですが、例えば「5万円だったら買う」という人に売るよりかは、本当に作品のことを気に入ってくれた人に「欲しいからちょうだい」と言われた方が自分は嬉しいですね。
金銭を基準に買う/買わないを決められるのが嫌だということですね。
それも立場が関係していますよね。人に何かを与えられるのは、すでに自分はその立場にいて、与えるものを手に入れているからなんじゃないかな。例えばヨーロッパのレディファーストも、自分の高い地位を示すためにやってあげていることでもありますよね。逆に考えれば、生きていくのもままにならなければ何かしらを売らないといけないですよね。お金でなくても物々交換でも良いとは思いますが。
物々交換の話から派生すると、ある実験で何かをやってもらおうと頼む時に報酬としてチョコを5個あげるのと、チョコ5個の値段よりも少し高い500円をあげるのとでは、チョコをあげた時の方がきちんと頼んだことをやってくれるそうです。というのも、お金が少しでも絡むと、意識が報酬の方に向いてしまうから。
じゃあ、例えばある有名人が鈴木くんの作品を欲しいと言ったとして、その人が周りへの影響力があるから鈴木くんのことを広めてくれるとしたら、そういう人には積極的に作品はあげたりしますか?
ものを作っている人や考え事をしている人と知り合うことが僕が作品を作っている意味だと思っています。
でも、作っている以上は表現することですからね。
例えばアメリカって移民が多いので、バックグラウンドが違うことで相手が考えていることが予想できないっていうのはありますよね。そんな状況の時にアートを通して、作品についてどう思うかを聞くことでその人の考え方を知ることができますよね。
急に作品の具体的な話になってしまいますが、今回展示しているシリコンの作品は何で白と黒なんですか?
《push Out #4》《push Out #5》《push Out #6》
2017 | silicon
© Takashi Suzuki, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
《push Out #6》(detail)
2017 | silicon
© Takashi Suzuki, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
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色を混ぜて作っています。黄色とかも作ってみたりはしたんですけどね。
色を混ぜるとなると無限に色を作れてしまいますよね。そうすると逆に迷いが出てきてしまうと思いますが。
作品の色は僕の趣味で選んでいます。
美しさの定義
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用意した質問の中にあるのですが、美しさとは何だと思いますか?
美しさは「学び」なんじゃないでしょうか。「これは美しい」と周りから刷り込まれているから美しいと感じるんだと思います。
とはいえ、例えば夕日の美しさは普遍的な気がするんですよね。それは、代々受け継がれてきた感覚によって美しいと思うということなんでしょうか。
それはどちらかというと動物の持つ美しさの感覚なんじゃないでしょうか。
パワーなんじゃないですか?ものの配置やバランスを見た時に、パワー的にみて優位かどうかを本能的に嗅ぎ分けて、より優位なものを美しいと判断するんじゃないかな。
生物的には強いものを美しいと思う本能を人間は備えているということですね。
基本はそうだと思いますが、そんなのが通用するのは猿の時代に終わっているから、新しい美しさを定義して、学んでいって、自分の中で消化していくと美しさを見る感覚が養われていくんじゃないかなと思います。僕は作品をそういう人に見てもらいたいですね。
例えばアーヴィン・ペンが撮ったタバコの吸殻の写真も芸術として美しいと言われますよね。でもその一方でペンは花も同じ目線で撮っていたりするから、この美しさを判断する感覚って信用できないですよね。バイアスが相当かかっていて、美しく見えてしまうっていうことなのか、何なんでしょうかね。
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でも、美しさの判断ってフェチと同じじゃないでしょうか。
穴が空いているジーンズを見て格好いいと思うことと同じなのかな。あとは、書道を例にあげると、タイポグラフィでゴミが入っていたらNGだけど、書道で墨が飛び散っていたりするのは良しとされますよね。誰も決めていないけれどルールが確実に存在しますよね。だとしたら、そのルールが満たされれば美しいと判断されるということなんじゃないでしょうか。もちろんルールを説明されるわけではなく、人間がルールを見出していって、「こういう理由でこのゴミはここにあるべきではない」っていう判断を下すんだと思います。
研究を作品に転換するポイント
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他にご質問はありますか?
鈴木さんの作品ではシニカルなものが多いと思うのですが、どういうポイントで笑いに 転換させるのか、あとはそもそも研究を作品に転換される際の共通点は何かありますか?
例えば「抑圧」をベースに作品を作るときに思い浮かべるのがSMプレイの衣装です。S側がレザーで、M側がラテックスのピタッとした空気を通さない素材を使っています。そのM側の衣装のイメージから、黒いウエットスーツに使われるゴム素材を使っています。こういう風に、自分の中で連想していって素材を決めていっていますね。
シニカルだったり意地悪な表現がないと、緊張感やカタストロフみたいなものが生まれないんじゃないかなと思います。ただ、それが極端になってしまうと暴力的だし、かといって甘すぎるとつまらないし。だからその塩加減が重要なんじゃないかな。
笑いを狙ったりはするんですか。
あえて隙みたいな足りない部分を作っていたりはしますね。
作品で相手に刺激を与えられるかっていうのは、自分がその刺激を感じない限りわからないですよね。だとすると、自分の感覚が強すぎてしまうと判断できないですよね。
話は少し変わるけど、例えば《Today's Fortune》と《Potograph》に共通点ってあるの?
《Today’s Fortune》
2017 | mixed media | size variable
©︎ Takashi Suzuki, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
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藤元:
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両方とも、やはり動物的には不必要な面白さをなぜ人は感じるのかをテーマにしています。
《Today's Fortune》のボールが白黒だったらデザイン的には良かったのかなと思ったり・・・。
あえて含みを持たせるというか、遊びの要素を持たせるためにこの色にしましたね。例えば、ピンクが入ったら今日は恋愛運が良いって言う人が実際にいましたね。
なんで子供たちはカラフルなものが好きなんでしょうね?今回も親子が通りすがりでこの作品を外から見て入ってきてくる方が多いです。
面白いのは、教えてないのに女の子はピンク、男の子は青が好きになることが多いんですよね。
子供自身で自らそうなることが多い、というのは本当に不思議ですね。
ところで映像作品を作る時、始まりと終わりはどのように決めるの?
今回展示している映像は10分15秒なのですが、Youtuberって、動画が10分を超えると少し収益が上がるんですよ。みんな10分くらいの動画を作っているので。そのようにして今回の映像の長さは決まりました。
《Another Ordinary Day》
2017 | video, sound | 10’ 15”
©︎ Takashi Suzuki, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
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じゃあ例えば映画って2時間くらいが基本だけど、それってどう思う?
それも不思議ですよね。でも、ある程度の時間的な制限の中で作ることがある種のゲームみたいで映画制作者としては面白いんじゃないかなと思います。
音楽も5分以内のものがほとんどですよね。
そうですね。音楽も繰り返しなので、僕が聴くときは一番のAメロ、Bメロ、サビまで聴いて止めてしまいます。
それも省エネじゃないですか(笑)。頭にジャックを差してインストールできれば映画なんかも2時間観る必要ないのにね。こんなに膨大な量の映画や映像作品が世にあったら全部観ようとするのは無理じゃないですか。
全人類が好きな形
客B:
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作品を見ていると、プチプチやムニュムニュしたものが多いと思うのですが、その根源ってなんですか?
何かに穴が空いて、そこから飛び出す形っていうのは全人類が好きな形だと思うんですよね。例えばつららのような形を作って逆さにしてみたり、体につけてみたりとか、そういうことは人間だからこそできることではありますし。
ということは鈴木さんの好みではなく全人類の好みということですよね?鈴木さんが個人的には好きでなくても、全人類がほぼ好きならそれを作品にするということですか?
そうです。基本的に、時間の急激な変化みたいなものが好きなんですよね。
でも、なんでそれを全人類が好きだって言えるの?
みんなのしている行動からリサーチして見出していますね。つらら、苔、堆積物とかって、それが理由でその場所が観光名所になったりしますよね。
時間の経過を視覚的に感じられるのが気になって見たくなってしまうということでしょうね。
なので、自分の作品では時間の経過を無理矢理作り出しているということになります。
この海の写真の作品は何?
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これは奄美大島で海の中で展示をするというプロジェクトです。ダイビングのライセンスを取って海の中に作品を沈めるということをやりました。基本的なコンセプトは島の人たちにも海の中に入ってもらおいうというもので、1年前の海の映像を海底で流すということをやりました。で、このタイトルは《海へ来なさい》という井上陽水の曲から取りました(笑)。
例えば鈴木くんの作品に憧れて「こういう作品を作ったんですけど、どうですか?」って聞かれたらどうアドバイスするの?
まずはその人の基準を知りたいですね。何が良いと思って作っているのか、とか。
その子はどういう風になったら成功という判断になるんだろう?
それはその人の生き方だと思います。僕が思うのは、楽しいことを楽しいままにキープするよりも、できないことができるようになった時や何もなかったところから何かが生まれた時の方が満足度は大きんじゃないかなということです。90点から95点に上がるよりも、30点から80点に上がる方が嬉しさの度合いは大きいじゃないですか。それを繰り返していくとずっと楽しいんじゃないかなと思います。
それでは、まだまだお聞きしたいことはたくさんありますが、この辺りでトークを終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました!
文・編集:折笠純(KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)
ウェブアーカイブ:Gwen Zhang(KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)
文責:河西香奈(KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)