鈴木隆志個展「人間ホイホイ」トークイベント
「あらゆることが、なんとなく: 無意識と普遍性を考える 」
公共空間に対する感覚
■目次■
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昔、寺山修司が劇場を否定していた時期がありましたよね。仕組みの中で行われることはすべて予定調和だから面白くないので、街中を舞台にして演劇をすることで、誰が役者で誰が観客なのかをわからない状況を作っていく、ということをやっていました。そういう風に日常の中に仕掛けていくというのも良いなと思うんですよね。
天井桟敷(主宰:寺山修司)市街劇『ノック』(1975)
ヴィヴィアン・ウエストウッドと一緒にセックスピストルズをプロデュースしたマルコム・マクラーレン*8も、日常にどうアートを仕掛けようかと考えた時に「バンドを結成させよう」、「彼らに衣装を着せよう」といったことをやり、ブティックやカフェの中にアートが存在させるというようなことを試みました。アートを取り巻く状況自体を変えようとしていたわけです。
僕はパブリックアートの研究室にいたのですが、みんなから「これは邪魔だ」と言われるのが怖かったんですよね。「うるさい、眩しい、でかい、いらない」とか。
でも、それって言われてなんぼな気もしますけどね。今ってパブリックアートとしては音量、光量、匂いとかの制限によって厳しい環境ですよね。そんな環境の中で、人が集まっていく状況でどのように緩めるのかを考えないといけません。というか、緩めないとクレームだらけになってしまいますよね。その役割をパブリックアートを担うべきではないかと思います。そこが緩むと解放が生まれますよね。
ヨーロッパって、子供に対して優しいですよね。例えば幼稚園を建てるとなると日本では、「声がうるさくて近所迷惑だからやめてくれ」という意見が出るのに対してヨーロッパでは「どうせ死んだら静かになるんだから、少しくらいうるさくしてもいい」っていう考え方じゃないですか。その違いって、なんなんでしょうか。
ヨーロッパでは子供を大人がいる空間にはあまり連れてこないというマナーがあるような気がします。もちろん国によって違うとは思いますけどね。そういうマナーがある分、公園みたいにパブリックの中に子供たちが自由に騒ぐことができる場があるのだと思います。日本も昔は大きな公園があったけれど、どんどんなくなったり小さくなったりして、それがこういう状況を作っているのかもね。
睡眠とは
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では次は、私たちで用意していた質問をテーマに話をしていただこうと思います。まず、生き物が眠るとはどういうことでしょうか?というのも、睡眠は脳を休めるためだと考えられていたそうなのですが、脳のないクラゲですら睡眠と同じような行為をしているそうです。脳に潜在意識を埋め込めるために必要だと考えられていた睡眠ですが、クラゲも寝ているらしいです*9。
「寝ている」ってどういう状況なんでしょうね?
その定義も曖昧なんだそうです。仮死のような状態で、起きている時よりも活動がスローダウンしているときの事を指すのだそうです。
省エネモードということですね。
そうですね。ということで、なぜ生き物は眠ると思いますか?
答えにはならないですけど、最近は省エネモードの若者が多いですよね。できるだけエネルギーを消費しないようにしてますね。
確かにそうですね。何がそうさせるのでしょう?
エネルギーを出す意味がないのか、戦う場所がないのか。「エネルギー出して切り拓いて何になるんだ」という考えなのでしょうかね。エネルギーを出している全世代を見ていて、格好悪いと思ってやめているんのかも知れません。
「エネルギーを出して楽しい」という実体験がないから、大変そうというイメージしかないのかもしれないですね。
エネルギー効率的には省エネの方が絶対得ですけどね。そういう風潮があるのは、技術が発展しているからじゃないですかね。
どんどん豊かになっているからでしょうね。
だとしたら、人間は究極ずっと寝てていいっていう状況になるわけですよね。全部AIがやってくれるのならほとんど寝てていいってことですよね。
理系の東大生たちの間だと、けっこうそういう話はしていますね。脳だけ現実に存在して、あとはすべてバーチャルで生きていてもいいんじゃないか、というような議論とか。
自分がもし理想な外見をバーチャルで作れるようになった時に、どういうデザインをするんだろうっていうのが気になりますね。「そのデザインの由来はどこから来るんだろう?」という。だとすると「今いる自分の姿形に満足していない」というコンプレックスが浮き彫りになるわけですよね。
神頼みと儀式
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(写真を見ながら)これはどうして作ったのですか?
《夢夢神社》
2017 | © Kosuke Tsumura
これは「夢夢神社」*10というのですが、あるイベントで山車のデザインを依頼されたのがきっかけで生まれました。山車はいろいろなものを見せる移動式ミュージアムみたいだなと思っているのですが、山車は大抵祭りが終わると廃棄されてしまいますよね。作品が廃棄されてしまうのが嫌で、神社にしてしまえば神が宿っていることになるから廃棄できないだろうということで、移動式神社を作りました(笑)。
神社は願い事をする場所ですよね。でも、なぜか叶う保証はないのにみんな願いをしたくなりますよね。「願い事をしてもいいですよ」という場所を作ると急に自分の中にマイナスの面が生まれて、今に満足していたとしても「満足していないかも」と思ってしまう。マイナスが生まれるということは欠落が生まれる。そして神社はその欠落を意識する装置であると思いますね。また、欠落を意識するとそれを克服するために努力しないといけない、という仕組みを生み出すんじゃないかと。その装置を移動式にして、みんなのもとに出向いていければと思って作りました。
僕の作品は津村さんが言ったことと同じようなことを考えて作っているんですが、ルールや、やってはいけないことをやっている感覚を通して、一度緊張感を意図的に作り、それを緩和させるゲームのようなものだと思っています。宗教も儀式もすべて同じだとだと思います。ちなみに、「儀式」というワードでネット検索すると、けっこう怪しいものが出てくるんですよね。
動物だったらこういう儀式ってするのかな。猿でいえば、ボス猿にマウンティングするみたいなことはあるけど、それは儀式と呼べるのかな、とか。
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他人にどう見られるか
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僕が儀式の要素の中で面白いなと思うのが、仮面をつけて何かになりきることです。それを現代バージョンにしたらどうなのかなと思って作ったのがこの作品です。
《btRitual_mask》:http://btakashi.jp/archives/1746
これはTwitterと連動していて、トレンドのツイートが文字で仮面上に表示されるようになっています。こっちはセンサーがついていて、人が近づくと顔はニコニコするのですが、裏で2ちゃんねる風の画面に悪口を自動的に投稿するようになっています。こちらは経済の変動によって表示が変わっていく仮面です。現代で儀式をするとしたらこういう仮面をつけるんじゃないかなと思い、こういう作品を作りました。
ハロウィーンに仮装する人は最近多いですよね。あれも違う自分になりたいっていう思いの表れなんじゃないかな。相手からも見られ方が変わるから、自分の立場が変わって、そうすると結果的にインスピレーションまで変わる。今までの古い考え方を転換させるきっかけになるんじゃないかな。極端に言えば化粧や髪型を変えるのだって同じことですよね。
他人の見られ方で環境が変わるのは、動物では起こらないですよね。人間は、例えば褒められたら反射的に「そんなことないですよ」という風に否定しますよね。一方で、動物は周りにどう見られているのかって考えないじゃないですか。
考える以前に、遺伝子的に外見が出来上がっているからじゃないかな。
犬は人間とのつながりが深いですよね。犬はペット化した初の生物で、人の様子を伺って、人とつながることで内部報酬を得る、ということをどこかで読んだことがあります。
カモフラージュする動物は「こう見られたい」っていうのがあってやっていることなのかな。こういう動物は、隠れて捕食する場合もあれば、隠れて天敵から逃げる場合もありますが。
「こう見られたい」と思うことは動物的な反応でもあるということでしょうかね。
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