鈴木隆志個展「人間ホイホイ」トークイベント
「あらゆることが、なんとなく: 無意識と普遍性を考える 」
登壇者:津村耕佑氏、鈴木隆志
日 時:2017年11月11日(土)17:00-
会 場:KANA KAWANISHI GALLERY
鈴木さんの作品/研究テーマ
河西(以下KK):
鈴木(以下TS):
今日はお集まり頂きありがとうございます。登壇者の鈴木隆志さんと津村耕佑さんです。津村さんはファッションデザイナーとして活動された後、領域を広げてアーティストとしてもご活動されています。まずはお二人が制作の中で基軸にしていることを中心に聞いた後、私たちと鈴木さんが聞いてみたい質問を集めたので、それをベースに話を進めていただきたいなと思います。
津村さんと最初にお会いしたのは7年前くらいですが、研究を経て、僕の作品も変わってきました。研究テーマは「嗜癖誘発」についてでした。動物的に生きていくのには必要ないけれど、無意識に行ってしまう行動を集めて「どうしてそのような行動を取ってしまうのか、何がそういう行動をさせるのか」を研究していました。
津村さんとお会いしたのはその初めの段階だったのですが、その後どうなっていったかというのをお見せします。メインテーマは五感に頼らず、「どうしたら人ならではの面白さを抽出して、それを形にできるか」をベースに活動しています。
《φtt-φxx+sinφ≠Humantt-Humanxx+sin(Human)》
© Takashi Suzuki, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
津村(以下KT):
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(作品を見せながら)これを津村さんに見せた時に津村さんは「これを10倍にしたらどうなるんだろう」と言っていて、印象に残っています。その時に「お金がなくて十分な大きさや数の作品が作れていないんだったら、俺に言え」と言ってくれました。この作品は、時間や不安定さをテーマにしています。
これはモーターの動力で回っているの?
そうです。裏でモーターを回しているのですがグリスを使っているので、普通であれば空気抵抗で動きが止まっていくのですがずっと回転し続けるような構造を作りました。津波の公式を使っているんですけど。
自分の研究を簡単にまとめると、外からの刺激に頼らずに、内部報酬という、例えば「フェチ」や「やってはいけないけれどやってしまうこと」とか、儀式などに注目して作品を作っています。そういう要素を整理できたらどうやったって良い作品ができるんじゃないかと。他人のセンスとかではなくて、みんなに共通した部分を用いることでみんなが何かしらを感じることができるものが出来上がるんじゃないかと。
それはある意味リサーチだね。
そうですね。例えば、ニキビを潰す瞬間ってネット動画で流行っていたりしましたけど、何かが押しつぶされて中から飛び出てくるとなんで人間は見てしまうのかな、とか。
ザワザワする感覚、シズル感というのはどこから来るんだろうかっていうことだよね。同じような形のものがたくさんあって、均一そうに見えて均一ではないようなものを見るとザワザワするのは、例えば蛇やムカデなど自然の中で見つけていて、そういう恐怖の記憶が蓄積されていて、それで無意識に反応してしまうんじゃないかな。
そういうのも基本にはあると思います。普段自分の研究に関することについてメモを取っているんですけど、ネタバレになってしまうので普段はこれは公表していません。さっきの「刺されそう」という恐怖は、潜在意識と顕在意識が関係していると思います。「危なさ」というのは、人間はいろいろな経験をしていく中で考えを潜在意識に蓄えていって更新していくんですよね。例えば風船が割れると動物は逃げると思うんですが、人間はハイスピードカメラで撮ってみたりしますよね。
こういうリサーチから得られた結果が「商品」になるじゃないですか。でも鈴木くんのアウトプットは「作品」ですよね。そこに違いってあると思います?
僕の場合はデザイナーの側面があるから、「その感覚を利用して服を作れたら面白いな」って思うんだけど、鈴木くんにとってはどうなのかな。もちろん作品も商品になり得るけど、発表している時点で表現だからね。
そこ聞きますか(笑)。いつも研究の発表で「買う人の気持ちを考えたことがあるのか」とか「どうしたら買ってもらえるのかを考えなさい」って怒られるのですが、実はその答えが一つあります。
フェチとかやりたいことって、すべて内部報酬なんですよ。ただし、そこにお金が一円でも絡んでくると途端にそれは外部報酬になってしまいます。「お金がもう少し欲しい」というような考えが生まれてきてしまうので、脳内で考えていたことが弱まってしまうんですよね。なので本当であればアトリエにこもって研究と制作だけできればいいんですよね。
オタクってことね。
そうですね(笑)。
このシリコンの作品は、そうやってアトリエにこもって制作する中で始まったんですよね。
《push Out #8》
2018 | 460 × 640 × 110 mm | silicon
© Takashi Suzuki, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
TS:
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そうですね。3年くらい前までは趣味でやっていました。
確かに、小中学生ならそういう趣向が強い時期がありますよね。爪ばかりずっと集めているような奴とか。めくれた皮だけためている奴とか。
そうですね。だから、本当はこういうギャラリーよりも自分が実際に作っているところに来てもらえれば一番良いと思うんですよね。だけど現実的にそれは難しいですからね。
パレイドリア*1
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(壁に掲示された、「制作メモ」として鈴木が集めているキーワード群を見ながら)このパレイドリアというのはなんですか?
何かものを人の顔に見立てて見てしまうことですね。動物がこういうのを見たら同じように見立てたりはしないんですけど、人間は擬人化するのが好きなので。
これってAIが進化したらできるようになるのかな?
できると思います。例えばパンの焼き目がキリストの姿に見えたらそれが高値で売れたとか。そういう無意味な行動を人は結構やってしまうんですよね。
学生でもこういうことをやるのは割と多いです。でも、「面白いですよね」って言うんですけど、そこから何も話が進まないんですよね。「で、何?」っていう。人の顔に見えるのなら、それを発表して何になるのかを考えないといけないんですよね。その時に、その学生の能力はどのように世の中とリンクできるのかを先生として考えなきゃいけないわけです。そこで思ったのは、例えば、人の顔を見出した物の中に性格を見つけ出して、その性格をデザインとして表現する時に表現の仕方としての一つの学びになるんじゃないかなと。そうすれば、その経験を社会に出て仕事をする時に活かせるんじゃないかな。
それは実はAIが一番得意な部分なんですよね。何かを人が見た時に感じたことを肯定するのって、同じ考えでなければ難しいんですけど、AIであれば同じものを見た時に人間では気づかない要素まで見つけ出します。
なるほど。このパレイドリアって、ある意味人間の弱点だと思うんですよね。顔を見出してしまうとそれ以外の要素は目に入らなくなってしまうから。
他にも「擬人化」の例を挙げれば、ウミガメが産卵する時に鳴いていると人は「かわいそう」って思うんですけど、実はウミガメ自身は痛くもないし海水を出すためだけに鳴いているだけなんですよね。勝手に人が感情移入しているだけなんです。
人間の場合、物語を加味してしまいますよね。写真を撮るときでも、アングルやピントがだいたい決まりきっている気がします。ピントが合わせているところが意識するべき部分で、それ以外が意識しない部分っていう風に勝手に認識されているけれど、果たしてそれはそうあるべきなのかと思います。
風景写真と写真家が撮る写真はそこが違いますよね。写真家の場合、意図して構図を決めていますから。
ただ、その意図のバリエーションがだいたい決まりきっていると思うんですよね。さっき話した物語も、パターンがだいたい決まっている。その決まりきっているところから外れたものを発見したいと思っているんですけど、自分の意識でものを考えて作っていると必ず決まりきった範囲の中に収まっちゃうんですよね。
KT:
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顕在意識と潜在意識
TS:
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好きか嫌いかというテーマの実験はよくあるのですが、普通、人の好き嫌いって潜在意識の部分で判断されています。というのも、全部を顕在意識で判断していたら疲れてしまうから。
例えば女の人が二人いたとして、「どちらの方が好きですか」と聞かれたときに、「こっち」と言うよりもだいぶ前に脳内では潜在意識によってどちらを選ぶのかが決まっています。そのあとになんで好きかという理由付けをしていくんですよね。
顕在意識は脳内の割合は少ないので、忘れてしまってもいいような情報は、とりあえず調べて並べておきます。後でつながればそれがひらめきになる。無理やり顕在意識で覚えておくのではなく潜在意識の中に溜めていくわ。
情報を得た時点では、どのタイミングでそれが役に立つのか分からないけど、ふとしたときに何かしらのインスピレーションになる、ということですよね。
よく「どうやってアイデアを出すんですか」と聞かれるのですが、アイデアは出そうと思って出るものじゃないじゃないですか。アイデアって、何かの目的があってそこに向かっていけば出てくるけど、そもそも目的がない状態ではフワッと思いついたりはするけど、それはアイデアではないですよね。
モヤっとした何かが湧き上がるんですけど、それがインスピレーションなのかな。何か仕事を依頼されたときに、そのモヤっとしたインスピレーションが集結してアイデアになるんじゃないかな。
ずるい考え方ではあるんですけど、作品を作るときに新しさと馴染み深さのバランスが大事だと思うんですよね。なんとなく馴染み深いものだけれども、今まで気づかなかった部分を提示すると一番人は納得してくれます。なので、僕が作品を作る上で、人から「ずるいな」と言われたら良い作品ができた証拠だと思っています。
ファッションデザイナーも同じだと思いますよ。ほぼ「ずるいな」とか「やられたな」って思うものこそが良いデザインですよね。
潜在意識には持っているものだけれども、ピックアップの仕方が違うことによって新しさが生まれる。それを表現しやすいのがアートだと思います。それを例えばデザインに落とし込むとしたら全然別のことも考えないといけないので、やりづらいくなってしまいます。
立場によって変わるインスピレーション
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立場によって、インスピレーションが変わるじゃないですか。よく「この子は神の生まれ変わりだ」とかって言われる子がいて、そういう子はそれなりの発言をする時もあるじゃないですか。それって、立場がその言動を作り出すんじゃないかなと思うんですよね。
「そういう発言をしないといけないんじゃないか」という空気感が流れて、抽象的なことを言っても、その子が「神の生まれ変わりである」と聞いているからすごいことを言っているような気がしてしまう。発言者と観客の間に発生している現象なだけであって、立場の問題なんじゃないかなと思います。
立場によって意識が変えられるのって変なことですよね。アメリカの実験で良いたとえがありますよね。河西さん、説明していただけますか?
「スタンフォード監獄実験」*2という、施設を用意して、被験者たちを看守と囚人に振り分けて、当初は二週間観察するという実験だったのですが、手に負えないほど暴力化してしまって、あまりにも危険なので実験は中止されてしまったそうです。看守側がどんどんなりきってしまって、囚人側にどんどん酷いことをさせてしまいました。
そう考えると、今って人が何かを発表する場面って決まってきているじゃないですか。アートであればギャラリーであるように。だとすれば、発表の場が変われば、感じられることも変わるってことですよね。