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田中和人 個展『Picture(s)』開催記念トークイベント

「写真とは何か? —田中和人の作品から考える—」
田中和人 × 金村修 × 小松浩子

質疑応答2:どこまでいくと写真じゃなくなる?

〈質疑応答2:どこまでいくと写真じゃなくなる?〉

それでは、質問にお答えしたいと思いますが、何かご質問はありますか?
 

田中: 

質問者1: 

先ほどの話の中で「写真の拡大」という言葉がありましたが、これがなくなったら写真じゃないということはありますか?

金村: 

その類の話はありますよね。先日は知人と「どこまでいったらカレーじゃなくなるか」という話をしたところです。コリアンダーの存在が邪魔かな、とか。境界を定義づけるのは、すごく難しいんですよ。

(笑)

一同: 

どこまでいったら写真じゃなくなるか。最後に残るものが何なのかということですよね。まず今回の田中さんの作品でいうと、ペインティングが写真作品となると、カメラがいらないですよね。

金村: 

そうですね。
 

田中: 

洞窟の絵画ってすごく写真的ですよね。あれは写真だなと思うんですけど、そうなると岩があればいいとも思うんです。結局、何がなくなれば写真じゃなくなるかといわれると・・・。「世界が消滅したとき」じゃないでしょうか。

金村: 

人間がいなくてもランドスケープなど自然は人間がいるいないに関わらずその美しさを形成していて、それが僕からしたらすでに写真的だなと思うんです。

田中: 

金村: 

撮影者すらいらないわけですよね。

田中: 

そうですね。素晴らしい質問で、話が面白くなってますね。小松さんの見解を伺えますか?

難しいですね。

小松:

金村: 

小松さんは、展覧会場に誰もいないときに美しいなと思うんですよね?

小松: 

そうです。床にも写真があるので、床を踏まない、体重がない人が来てくれるのが一番いいんですよね。

(笑)

一同:

展覧会場に誰もいないときに美しいと思うのはすごく分かります。ただ、同時に僕が今回のように個展を開くのは、ひとりでも多くの人に見てもらいたいからで、作品が成立するのに見てもらうことが必要であるという思いもあり、そこは難しいところですね。面白いです。ほかにご質問はありますか?

田中:

1枚の写真

〈1枚の写真〉

河西: 

現在、西麻布のほうのギャラリーで『One Picture Manifesto』という展覧会を開催しているのですが、それはフィンランドのアーティストが発起人となって企画した世界巡回展で、アート写真とそうではない写真には、どのような線引きがあるのかを考えたことから始まりました。

 

結局彼らの中では、一般的には「シリーズで発表されている写真」がアート作品と認識されている、という結論に行きついたそうです。そこで「一枚の写真はアートになりうるのか」という問いを形にしたのがこの『One Picture Manifesto』で、各作家につき1点ずつ作品を出しています。先ほどから、「大量にないと写真にならない」という発言がありましたが、そんなお二人は西麻布の展示をご覧になってどのような感想をもたれたのか伺いたいです。

今の質問には、ふたつ重要な点があって、「一枚の写真とは何か」という点と、「アートとは何か」という点です。アート作品とそうではないものをどう分けるかという話はとても難しいですよね。

田中:

河西: 

その話になるととても長くなってしまいますよね。今回はご覧になった感想を伺えますか?

そうですね、あの展覧会を見て思ったのは、なるほど1枚でも成立するんだなということです。確かに、大量にあると面白いんだけど、そもそも写真は1枚でも成立するんですよ。特に、KANA KAWANISHI GALLERYから出している安瀬英雄*28さんの作品はそう思いました。

金村:

『One Picture Manifesto』展示風景

©︎ KANA KAWANISHI GALLERY

ただ、言葉が必要かなとは思いました。展覧会場には、巡回展のマニュフェストが置かれていましたが、あれらの作品を言葉なしで見たらどうなのか。ただ、言葉なしでものを見ることはありえないですからね。僕が写真学校に通っているときに、先生にいろいろと話していたら、お前みたいなおしゃべりはダメなんだといわれたけど、じゃあ一切説明なしで写真が成立するかというと難しくて。1枚で成立するには何かが必要ですよね、それは言葉なのかな。それに言葉抜きでものを見ることが人間にはできないと思うのですよね

 

金村:

河西: 

小松さんはいかがでしたか?

すごくチャレンジングに感じました。会場に、各作家の作品集(写真集)が補助線のように置かれていましたよね。特にマイヤ・タンミさんは、時間経過の記録写真を作品にしていましたが、そんな彼女が1枚で成立する作品を出している。

 

作品を見ていて、やはりそれぞれの作家についてもっと知りたいなと思ったので、作品集があるのは説明的で分かりやすいですが、1枚の作品だけで理解するとなると難しいなと思いました。

小松:

河西: 

そうですね、みんな怖かったと言っていましたし、実際マイヤはこの展示を始めてから、作品のつくり方が変わってしまったそうです。

そうでしょうね。写真はやはり複数性と相性がいいですから、「1枚」というのは難しいんですよ。

金村:

ほかにご質問はありますか?

田中:

質問者2: 

田中さんの今回の作品ですが、先ほど、描くほうから制作を始めているとご説明ありましたが、描く前から何かイメージなどあるのか教えていただきたいです。

これは象徴的なものを描いているというか。そこに何か根拠を求めないようにしています。僕は写真を見ることよりも、絵画を見ることのほうが好きだけど、描きたいというモチベーションではなく「絵画を見る」ということは何なのかは常に考えていて、それを写真にしているところもあります。だから、あるとすれば絵画を見た経験がそこに現れているのだと思います。

田中:

「写真の神様」がいる

〈「写真の神様」がいる〉

僕はうまくいえませんが「写真の神様」を感じるようなときがあります。「写真の神様」はいるような気がしませんか?

田中: 

©︎ KANA KAWANISHI GALLERY

大袈裟な話になってくるけど、写真は人智を越えていると思うんですよね。いわゆる、「何か助けてくれる」といったものではないけど、突然やってくるじゃないですか。突然やってくるものという意味では、神の世界と通じるものがあるのかもしれませんね。

 

僕も小松さんも下調べしてしまうと撮影できないので、何も調べずに撮影に行くんです。もちろん、ある程度こちらからアプローチしないといけませんが、最終的には向こうから何かがくるんです。それはやはり待たないといけないし。人によっては来ない人もいるだろうし。写真を撮り始めたころに思いましたね、ファインダーで見ていたら、ある日世界が違う感じで現れたのです。

金村:

僕も、まさに初めのころにそう思いました。写真は誰でも撮れるけど、それが来ない人もいるということは分かります。自分に来たという感覚は確かにありました。ほかにご質問はありますか?

田中: 

写真をちぎる、絵画のストローク

〈写真をちぎる、絵画のストローク〉

田中さんの作品では、どの段階で写真をちぎっているんですか?

タカザワ:

絵ができあがった後に、絵を見て、それに対応するようにちぎっています。ちぎっている写真は、暗室作業のときに主に8×10インチや、11×14インチのサイズの印画紙に焼いています。制作のときは、まず絵を自由に描いて、絵ができたなと思って初めて、暗室で露光させた大量の写真(印画紙)から絵画に応答するように、ちぎって貼っていきます。
 

田中: 

Total Multimedia Life
2022 ©︎ Osamu Kanemura, courtesy MEM

タカザワ:

(絵と写真の)距離が絶妙だなと思ったんです。似ているようで似ていない。

そうですね。絵を傍らに置いて写真を焼いているのではなくて、暗室にいるときは絵のことは考えずにとにかく、いかにあらゆる色をつくっていくのか、作業的に行います。色が多ければ多いほど、安心なので。
 

田中: 

絵の具を塗り重ねていくように、ちぎったものを重ねていくというプロセスがシンクロしていて、その関係性みたいなものはどのように感じますか?

タカザワ:

田中:

写真でありながら、色を物理的に重ねていくところはとても絵画的で、(写真と絵画が)逆転していますよね。

すごく想像できるんですよね。どうやって絵画を描いていたのかなとか、どうやってちぎっていったのかなとか、脳の動きを感じられるんですよね。それが見ていてすごく面白いなと感じました。もちろん絵として、色や形を見て絵画っぽいというのも分かりますが、それと同時に作者がどうやってつくっていったのかを頭の中でイメージ化する、立体的な楽しみ方があるなと感じました。
 

タカザワ: 

ありがとうございます。ほかにご質問はありますか?

田中:

質問者3:

先ほどから、特定のイメージなく絵画を先に描いているとお話がありましたが、それなら、結局はもとに戻って印画紙の写真のイメージが頭に浮かんできて、どちらが先ということもなくつながっているのではと感じました。どうでしょうか。

どちらが先か、というのは言ってしまえばそうですね。ただ、順番がどうというよりも、でき上がった状態が漠然と見えていて、そのヴィジョンに向かって作品が作られているというところが重要だと考えています。作品として「絵画と写真が対等にある状態」を最終的に見て欲しくて制作しているので、質問があれば、作品の理解につながると思うのでプロセスについて先ほどのようにお答えしますが、そのプロセスを知らなくても作品を理解いただけるかと思います。
 

田中: 

印画紙をちぎるという行為には、どのような意味があるのでしょうか?

質問者3:

絵画を描くときに、そのストロークに手の動きや強さなどが現れるのと同じように、写真をちぎる行為は絵画に近づけるための行為かもしれません。それと同様に、写真に近づけるために、ちぎったり丸めたりして、写真が「紙」であるという証明としても機能します。

 

絵画的な手の動きであるとか、反面、それが絵画とはまったく違ってフラットな紙であるという意味も表出させるために「ちぎる」という行為を行っています。僕は、画家ではないけれど、絵画に対する憧れみたいなものがあります。

田中:

Picture(s) #24

2022 ©︎ Kazuhito Tanaka, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

写真は、絵画に憧れている?

田中:

僕からお二人に伺いたいのですが、写真は絵画に憧れていることはないでしょうか?絵画の歴史と写真の歴史は切っても切り離せないところがあって、絵画のほうが先にあるし、まったく違うものですけど、やっていることは似ていますよね。写真は絵画を追いかけているけれど、「憧れているわけじゃないよ」という顔をしているところがあるようにも感じて、そのあたりどうでしょうか?

僕より上の世代は、やはり絵画に対するコンプレックスが強いんじゃないでしょうか。たとえば、僕が教わった先生は、銀座の画廊で写真展をやろうと思って話をしに行ったら「うちは美術です」といわれてしまったそうです。昔はよくそんな話を聞きましたね。ただ僕は、絵画も写真も対等で、そんなに境界を考えたことはなかったです。
 

金村: 

〈写真は、絵画に憧れている?〉

小松さんはどうでしょうか。

田中:

小松:

全体を「美術」と呼ぶのであれば、そのひとつとして「写真」がある印象です。今まで「写真家」と名乗っていたのに急に「美術家」と名乗る人もいますが、自分としては同じものと考えています。写真家、彫刻家、画家などとさまざまな方がいるけど、使っている素材が違うだけで何も変わらないので、なぜ写真と対立するようなかたちになるのかなと思います。

僕は中平卓馬*29の本を読んでいたから、美術家よりむしろ写真家のほうが偉いんじゃないかなとも思いました。先ほど田中さんが話していたように倫理の話になったら、思考としては写真は圧倒的にすごいと思うんです。
 

金村: 

ありがとうございます。最後にご質問ありますか?

田中:

河西:

先ほど「頑張ると写真はつまらなくなる」というお話がありました。では「いい写真」や「いい作品」を、良いと感じさせるものとは何でしょうか?

「いい作品」って実はすごく難しいですよね。若いころは、コンタクトプリント*30などを見て、これは良いとか、これは悪いとか、はっきりとしたものがあったんです。でもあるとき、10年くらい前の自分の写真を見たら、どれも面白く感じたんです(笑)。良いとか悪いとか、経験がないときのほうが分かるんですよ。だんだん年を重ねるにつれて、わからなくなってくる。
 

金村: 

好きな写真家とか、嫌いな写真家とかはいないですか?

田中:

金村:

それはありますよ。ヒューマンの写真は好きじゃないです。ヒューマニズムと写真は相性が悪いなと思います。人間の要素を感じない写真が好きですね。

学生さんの写真を長く見ていると、突然変わるときがあります。それを迎えた学生さんには、「ああ、もう大丈夫になったんだね」とか「こちらに来たんだね」と思います。そこはもう大前提なので、そこからはやはり人智を超えるものが必要なのかなと思います。

だから、もしかしたら続けられている方はみんな「いい作品」なのかもしれないし、商業的な成功を伴うものが「いい作品」とは言い切れないですし、定義するのは難しいですね。

 

小松: 

ありがとうございます。「写真とは何か」というテーマで2時間みなさまお付き合いくださりありがとうございました。結論としては、「分からない」ということで。

田中:

(笑)
 

一同: 

「いい作品」が何なのかわかってしまったら作品はもう作れないですからね。一生分からないものだと知っていても、それを分かろうとして努力するのかも知れません。それでは、トークはこちらで終了とさせていただきます。今回は皆さま本当にありがとうございました。

田中:

    5

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*28   安瀬英雄(あんぜ・ひでお):東京生まれ。写真を用いたコンセプチュアルな作品で知られる。

  https://www.kanakawanishi.com/hideo-anze
*29   中平卓馬:日本の写真家、写真評論家。

*30   コンタクトプリント:写真フィルムを印画紙に密着させて原寸プリントしたもの、またはそのための技法。べた焼き、密着印画。

  

脚注

文・編集・ウェブアーカイブ/小林萌子 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)
文責/河西香奈 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

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