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田中和人 個展『Picture(s)』開催記念トークイベント

「写真とは何か? —田中和人の作品から考える—」
田中和人 × 金村修 × 小松浩子

音楽と写真

〈音楽と写真〉

抽象性の話では、金村さんの映像作品が端的だと思います。金村さんの写真は、加えて音楽との親和性がすごくありますよね。CAVE-AYUMIGALLERYで開催された金村さんの展覧会*18では、ビデオインスタレーションが行われていましたけど、その作品を見ていて音楽すらも写真的だなと感じました。音楽と写真の関係についてお聞きしたいです。
 

田中: 

金村: 

まず、あの会場で流れていた音楽は現実の音です。実際にある音を録音して、それをイコライジング*19したり、スピードを変えたり、逆回転したりしています。普通、動画では現実の音を大きく変えずに使いますけど、「現実の音」をそのまま使うのは現実を担保しているようで嫌だなと思ったんです。

 

「現実」を録音すると、「現実にそっくりな音」が録れますけど、それはそっくりなだけで「現実」ではないんです。新しい何かが生まれているんです。だから、変速させたりすることで違う現実の音が現れると、それはもう現実ではないし、でも元を辿れば現実なわけで。現実をどんどん分断していくところは、やはり写真に似ていると思います。
 

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©︎ KANA KAWANISHI GALLERY

田中: 

小松さんもフィルムの映像作品を制作されていましたけど、MEMで発表していた映像作品は逆に無音な印象があります。金村さんの作品とは、その点では極端に違うなと感じました。

私が使っているのは8ミリなので、単純に録音機能がないんです。MEMで展示をしたときは、映写機3台を使って、フィルム自体を部屋の中にぐるりと1周回すように見せていました。そのときは、フィルムの動きと、映写機の音があったので、それだけで十分だったんです。


このときは、Nyantora(ニャントラ)さん、Merzbow(メルツバウ)さん、Duenn(ダエン)さんという3人で活動されている「3RENSA(サンレンサ)」というバンドのリハーサルを撮らせてもらっていたのですが、彼らの演奏がまた爆音なんです。爆音なのに映像では音はなくて。

小松: 

そうでしたね、だからこそ余計に静けさが助長されていました。

田中: 

この展示へ行った人が、「音がしない」ってTwitterにあげていたよね(笑)。
 

金村: 

(笑)

一同: 

8ミリフィルムをそのまま編集で使うと傷んでしまうので、一度デジタル化しています。それをダビングしたフィルムを、インスタレーションに使用していました。フィルムは何百時間も回すと、ダメになってしまうんですよね。

 

8ミリフィルムは光量が少ないので映写機ではそこまで大きく映せなくて、細部が映らないんです。でもデジタル化してみると分かるのですが、実はすごく情報量が多くて、かなり大きく映せるんですよね。前はこのように無音にしていたんですけど、最近少しずつ作り始めている映像作品は、8ミリフィルムをコンバートしてデジタルで編集していますが、発表形態がデジタルなら音を入れてもいいなと思っています。

小松: 

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『SILENT SOUND』展示風景

©︎ Hiroko Komatsu, courtesy MEM

金村: 

小松さんは、むかし音楽をやっていたんだよね?

なぜ写真をはじめたか?

〈なぜ写真をはじめたか?〉

小松: 

そうですね、少しやっていました。音楽がダメだったから写真をやっているんです(笑)。

僕も音楽のほうが先に好きで、でもできなくて、いろいろあって写真と出会ったので分かります。なんだか色んなことをやってきてダメだったけど、写真はできたんですよね。写真は、初めて自分で撮り始めたときから、これだ、という感覚がありました。写真を始めたとき、お二人はどう感じましたか?

田中:

金村: 

それは僕にもありました。写真を始めたとき、これは簡単かなと思ったよね(笑)。

田中: 

なぜ写真を撮り始めたんですか?

僕は音楽をやっていたとき、どちらかというとコマーシャルで売れたい意識があったから、ノイズもノイズじゃない音楽も幅広くやっていたんですけど、音楽ではダメでした。その後、25歳くらいになってから自衛隊に入るか、写真をやるかの2つを考えました。それまでステージに立っていたからカメラを向けられて写真を撮られることが多かったんです。カメラマンはみんな高卒だったし、話したら頭悪そうだったし、そんな人でも写真ってできるんだと思って(笑)。

金村:

(笑)

一同:

金村: 

カメラマンの人たちに写真は儲かるのか聞いたら、結構金になるって言っていたんですよね。あの時代はフィルムカメラの仕事がたくさんあったから、じゃあ、と思い写真を選びました(笑)。でも学校に入ってみると鈴木清*20先生や、柴田敏雄*21さんが教えてくださっていたので、コマーシャルなんてやってる場合じゃないなと、すぐに考え方が変わるんですけどね。

結局何をやっても難しいですよね、音楽も、絵を描いても。でも、写真だったら一人でできるなと思って選びました。そもそもカメラで外を撮ることが好きではなくて、暗室作業をやりたかったんです。だから私の場合は、暗室作業のやり方を教えてもらうほうが最初で、それをやりたいなら写真を撮らないとなと思って写真を始めました。

小松:

田中: 

今はどうですか。写真を撮るのは好きではないですか?

今は、好きとか嫌いとかじゃなくて、当たり前に「やること」という認識です。ただ、ライカを使って街を撮っていると、すぐにカメラ大好物な方に見つかって、何を使っているのかと声をかけられてしまって。

小松:

ただのカメラではなく、女性がライカを持っている点が大きいですよね。「女がライカ?」と思うカメラおじさんは多いですから。

金村:

小松: 

そうなんです。俺が教えてやるという感じで声をかけられることが多かったですね。だから、どんどん人がいないほうへと移動して、工業地帯などに追いやられていったという流れです。

(笑)

一同:

「写真的芸術家」とは

〈「写真的芸術家」とは〉

僕とお二人との出逢いのきっかけは、僕が企画した展覧会でした。僕はアーティストですが、展覧会の企画などもしていて、京都でsoda*22というアーティストランスペースを運営しているのですが、そこで「画家の写真展」という展覧会を企画をしたんです。それはペインター(画家)の人たちに写真の作品を制作して展示してもらうという企画だったんですけど。そこに先ほどからお話に上がっている梅津さんが、金村さんと小松さんを連れて3人で見にきてくださったんです。そのとき初めてお会いしました。その後、「画家の写真展」の記録冊子を制作した際には、御三方に寄稿をしていただきました。


梅津さんの寄稿文の中では、僕のことを「写真家」とも「アーティスト」とも呼ばず、「写真的芸術家」という言葉が使われていました。それは、美術評論家で詩人の外山卯三郎*23が、アーティストの瑛九*24を「写真的美術家」という言葉で評したことの引用なのですが、写真家からもはみ出しているし、画家からもはみ出しているという意味だったそうです。その系譜で、寄稿文には、写真的芸術家は、瑛九と、杉浦邦恵*25と、リヒター、そして田中和人もその系譜にいる、というようにありました。とても励みになりますけど、すごい並びですよね(笑)。
 

田中: 

(笑)

一同:

梅津さんはそこからさらに、「写真的芸術家とは、すべての芸術的な活動を写真的な原理で活動している人のことをいう」とも書かれていました。その「写真的原理で活動する」という点が非常に難しいのですが、作品が写真かどうかではなく、写真的原理に突き動かされて制作しているのかどうか、ということです。だから「写真」という言葉を拡張して、世の中に対する態度が「写真的」ということを言っているんですよね。

 

自分としては、その言葉で評価していただけてとてもうれしいのですが、どういうことなのかとても考えました。「写真」ではなく、「写真的」といったとき、どこまでも意味が広がっていくように感じます。お二人は「写真的」という言葉を聞いて、何か連想することはありますか?

田中: 

そうですね、先ほどもお見せしたドローイング作品がありますが、あれは商品についている丸や四角をそのままコピーしているだけだから、そこがすごく写真的だなと思います。現実にあったものを切り取って、違う文脈にもっていくという行為がとても写真的だし、それをやっているとすごく写真の概念が拡大するから、そこが「写真的原理」なのかな。

金村:

Terror Perfect Pain

©︎ Osamu Kanemura, courtesy MEM

あとは、先ほど話に上がっていた原將人さんの「まるで映画を見ているようだ」というのは、世界はすでに映画になっているという考えだと思うのですよね。以前に、フリージャズをされていたジャズトランペッターの近藤等則*26さんという方がいましたが、あるとき彼がお茶を飲んでいると、もうそれだけで、すでにフリー・インプロヴィゼーション*27になっていると言ってました。世界はフリー・インプロヴィゼーションなんです。そこに手を加える必要はないと。それをきっかけに、もう演奏する必要ないと思ったそうですが、演奏しないと聴衆はお金を払ってくれないから、演奏する必要もあるなと気づいたそうです(笑)。
 

金村: 

一同:

(笑)

彼が思うその状態ってあるんじゃないかなと僕は思うんです。「もう世の中は写真だな」みたいな。でも写真って幻影というか影みたいなものじゃないですか。それ自体に実体があるわけではない。そんな非実体的なものが、現実という実体に先行して存在している。近藤さんもそうですが、実体の無いもののほうが、実体に先行している。なのでカメラを持たなくても写真は撮れるけど、そんなことじゃ誰も作品を買ってくれないですからね。だから悩むんだけど、頭の中に写真はできているんですよね。
 

金村: 

小松さんは「写真的」という言葉をどう感じられますか? 写真の概念を拡張することと少し近寄ってくると思いますが。

田中:

小松:

そうですね。梅津さんからは、実は私は写真を撮っていないんじゃないかと思われているようなんです。先ほども話にあがったDECODE展で、8ミリカメラで展示会場を撮ったものを、天井から床に投影したインスタレーションがあったのですが、私たちはそこを「沼」と呼んでいたんですね。梅津さん曰く、その沼は「写真の森」につながっていて、私は夜な夜なその沼から森に抜けて、写真を採集してここに持ってきているんじゃないかといわれたんです(笑)。

(笑)
 

一同: 

『DECODE/出来事と記録-ポスト工業化社会の美術』展示風景

©︎ Hiroko Komatsu, courtesy The Museum of Modern Art, Saitama

面白い話ですけど、でもそれってあると思うんですよね。物理的に採集作業はしてないですけど、私を介しつつ、勝手に生まれてきてる感じがします。

小松:

田中:

「介している」という表現、すごく分かります。写真作品を制作しているけど、もうひとつの違う何かが確実に働いているという感じですよね。それが、写真作品を作ることでもあるし、そのほかのことにも拡張できるという点で、写真的なのかなと思います。自分ひとりではないんですよね。

そうですね、なんだか取り憑かれるという感覚でしょうか。取り憑かれないとやってられないですよね。よく考えたら、普通に働いたほうがいいですし(笑)。
 

金村: 

(笑)

一同:

   4 

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*18   「Sold Out Artist」(2022年、CAVE-AYUMIGALLERY)

  https://caveayumigallery.tokyo/OsamuKanemura_SoldOutArtist
*19   イコライジング:イコライザを使用して、主に音色を加工する作業のこと

*20   鈴木清:写真家。記憶、生い立ちを自伝的に見つめる写真集「修羅の圏(たに)」などが代表作。死の直後に行われた写真展では、遺された展示案をもとに、教え子の金村修が会場設営を担当した。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木清

*21   柴田敏雄:日本各地のダムやコンクリート擁壁などの構造物のある風景を大型カメラで撮影、精緻なモノクロプリントで発表してきた写真家。

  https://imaonline.jp/imapedia/toshio-shibata/

*22   soda:田中和人がディレクターを務めるアーティストランスペース。https://www.sodakyoto.com/

*23   外山卯三郎(とやま・うさぶろう):1903年1月25日和歌山県生まれ。美術評論家。

  https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko

*24    瑛九(えいきゅう):日本の画家、版画家、写真家。 https://ja.wikipedia.org/wiki/瑛九

*25   杉浦邦恵:愛知県名古屋市出身の写真家・美術家。1960年代からアメリカ・ニューヨークを拠点に活動している。 

*26   近藤等則:日本のトランペッターで音楽プロデューサー。愛媛県今治市出身。https://ja.wikipedia.org/wiki/近藤等則

*27   フリー・インプロヴィゼーション:楽譜などに依らず音楽を即興で作曲または編曲しながら演奏を行うこと。

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