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井村一登 個展『折衷案がもたらすNレンマ』

開催記念トークイベント
「鏡としてのアート

井村 一登(アーティスト) × 菅 実花(アーティスト)× 岩垂なつき(美術批評)

日 時: 2024年4月13日(土)17:00〜

会 場: KANA KAWANISHI GALLERY

登壇者: 井村 一登× 菅 実花× 岩垂なつき

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光学装置がもたらす「自己認識」のアップデート

〈光学装置がもたらす「自己認識」のアップデート〉

菅:    TOKASでの個展の前年(2021年)に資生堂ギャラリーで個展「仮想の嘘か|かそうのうそか」を開催したのですが、その時に初めてインスタレーションの中に鏡を取り入れました。

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《パラダイス シフト》
菅実花個展「仮想の嘘か|かそうのうそか」展示風景(2021年、資生堂ギャラリー)

それまでは人形を撮った写真作品を制作していて、私自身をかたどった人形と一緒にセルフポートレートを撮影するという手法をとっていました。こうした写真作品には鏡を写り込ませるという手法をよく用いているのですが(下記画像参照)、最初はただ「鏡があった方が面白いだろう」という程度で取り入れていました。そのうち鏡が私の取り組んできたテーマ自体に強い結びつきがありそうだということに気がつき、資生堂ギャラリーでの個展では鏡自体を作品として発表しました。

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《ステイ パラダイス 02》
2021 | inkjet print | 1101 × 1544 mm

井村:    菅さんというと、写真作品の印象が強いですよね。

 

岩垂:    そうですよね。菅さんをご存じの方は「人形を写した写真」というイメージがあるかと思います。

 

菅:    例えば《ステイ パラダイス 02》では前面に長方形、そして奥に楕円形の鏡が写り込んでいます。作品に写っているカメラで実際に撮影しているのですが、実はカメラを構えているのは人形で、私自身は座っている方の人物で、リモコンを使ってシャッターを押しています。

 

岩垂:    この個展では写真作品が壁に並んでいて、空間の中央にモビールが吊り下がっていましたよね。

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《注意深く見るための機械 05》
2021 | fresnel lens, iron
菅実花個展「仮想の嘘か|かそうのうそか」展示風景(2021年、資生堂ギャラリー)

菅:    このモビール作品にはフレネルレンズを使っています。フレネルレンズとはごく薄いプラスチック製のレンズで、最近ではプロジェクターなどに使用されていますが、元々は灯台の明かりを遠くに届けるために発明されました。フレネルレンズの発明は鏡やガラス製品の発展と同時期に起こっていたのですが、こうして光学装置が発展していった時代と、その発展によってものの見え方が変わっていったことをメインのテーマとしてこの展覧会を構成しています。

 

岩垂:    菅さんは鏡やフレネルレンズの発展によって人々の自己認識が変わっていった点にご興味があると思うのですが、その理由を詳しく教えていただけますでしょうか。

 

菅:    作品の被写体として自分そっくりの人形を作り始めたことによって、そのうち「自分とは何か」という問題に興味を持ち始めました。鏡の歴史を調べると、現代で一般的に使われているような大きく平滑な鏡を安価に作ることができる製法は1835年のドイツで発明されました。それまでは平滑な鏡を作るのが難しく高価であったため、平滑な鏡は王侯貴族たちのみが持ち得るもので、庶民は歪んだ金属鏡を磨いて使っており、こうした格差が全世界にありました。王侯貴族たちは自分たちがどういう姿をしているのかを見ることができる一方で、一般市民は歪んだ鏡しか持っていないために、自分の顔をよく知らないという状況があったわけです。

 

岩垂:    経済格差が自己認識にも格差を生んでいたんですね。

 

菅:    そうなんです。そしてその当時、ガラスや鏡と並行して写真の技術も発展していきました。フランスで写真館を経営していた人物が書いた回想録の中で1850年代から60年代の写真館を取り巻く状況を記しているのですが、そこには「人々は自分自身の顔を知らない」と書かれていました。写真館で撮影し、後日完成させた写真のプリントを客に渡すと「こんなの私じゃない」と言われてしまったり、たくさん写真が並んでいる中で他人の写真を自分のものと勘違いして取っていってしまうという事態が頻発していたそうで、そんなことが起きるほど当時の一般市民たちは自分の顔を知らなかったわけです。

 

このような時代を経た現代ではどこにでも鏡があるので自分の姿をきちんと認識できているのですが、それは実は人類史の中ではすごく珍しいことなのではと思うんです。こうした気づきをきっかけに鏡の作品の制作へと発展していきました。

 

岩垂:    TOKASでの個展では鑑賞者の姿をリアルタイムでスクリーンに映し出し、AIが生成した架空の風景写真に重ねる作品《あなたの知らない場所にいる》があり、さらに屏風形の《非反転劇場鏡》では鑑賞者に作品の前でスマホでの自撮りを推奨していましたよね。「自撮り」を通してそれまでも扱ってきた「自己認識」というテーマをさらに別の階層へと発展させた印象を持ちました。

 

菅:    1835年の発明からつい最近まで、鏡によって自己を認識できるという人類史の中でごく短い時代が生まれましたが、そのうちスマートフォンが登場しました。スマートフォンにはインカメラが標準装備されていて、画面で自分の姿を確認しながら自撮りができますよね。現代人であれば大体が自撮りを撮ったことがあると思うのですが、最近の自撮りアプリでは目の大きさや顎の形を修正されるように画像が自動で加工されるものもあります。これによって、若者の中にはアプリを通して加工された姿が「自分の本来の姿」であると認識する人もいるようです。写真館を経営されている方に話を伺った際、「成人式の撮影をするのが嫌なんだよね」とおっしゃっていました。というのも、出来上がった写真を見て「こんなの私じゃない」と言って、スマホで撮影し加工された写真を見せて「これが私です」と主張してくることがあるそうなんです。また、ある大学の先生は「学生証の写真を見ても、本人かどうかの判別ができない」とおっしゃっていたのも印象的でした。学生証の写真が加工された自撮り画像なので、学生本人と顔が一致していなくて、何の証明にもならないことがあるそうなんです(笑)。

 

一同:    (笑)

菅:    「そういう時代が来たんだな。真実の鏡の時代はとても短かったな」と思いつつ、「これからは自撮りの世界なんじゃないか」ということを示すためにTOKASでの個展では自撮りを推奨しました。

 

岩垂:    《非反転劇場鏡》では鑑賞者が作品の前に立った時に反転した鏡像ではなく、客観的に見たそのままの自分の姿に真正面から向き合わされる構造になっていて、加工された自撮り画像などのバーチャル化された自分の姿に慣れている世代の人々にとってはドキッとさせられるような作品なのではないかと思います。

 

菅:    実はこの作品と同じような直角の合わせ鏡がリバーサルミラーという商品名で販売されているのですが、SNSを見るとリバーサルミラーの画像とともに、キャプションで「自分の顔の歪みに気づいて病むから使わない方がいい」という投稿もありました(笑)。

 

井村:    最近はSNSで自分の写真をアップする際に左右反転した画像を使う人も多いですよね。やはり鏡に映る姿の方が見慣れているからなのか、反転している姿の方が「盛れている」という認識になっているんでしょうね。美大受験の課題で描いた絵画やデッサンを、形状をチェックするために鏡判定するとすごく歪んでいるというのも、よくある話ですよね。

 

岩垂:    自分自身の理想の姿を想像するだけではなくて、バーチャルな姿としてSNS等を通じて外部に共有できるというのも現代社会の特徴的な側面なのかなと思います。

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〈Happy Dinner Party〉より(2023)

菅:    次にお見せするのが、直近に開催した個展「シスターフッド」(2023年、Gallery10[TOH])で発表した作品です。この〈Happy Dinner Party〉シリーズは人形を使用するという手法から発展した作品で、写っている3人が全員人形で、彼女らが女子会でおしゃべりをしているシーンを撮影した写真作品です。この作品にも鏡が写っていて、その鏡には撮影している私自身も映り込んでいるのですが、女子会に混ざれなくて、少し離れたところから傍観しているような距離感ですね。

 

岩垂:    ここに登場する人形すべてが菅さんを模しているのでしょうか?

 

菅:    真ん中に座っている人形だけが私を模したもので、他の2体は既製品を使っています。私自身が女子会に参加することはなく、鏡に小さく映り込んでいるくらいの方が、自己認識的に私が女子会に対して感じている距離感を示せるかなと思ってこのような構図にしました。

 

岩垂:    展示タイトルの「シスターフッド(=女性同士の連帯)」に対する菅さんご自身の感覚を示しているのでしょうか?

 

菅:    そうですね。作者である私はあくまで引いた立場にいて、「あなたたちの友情はあなたたちのものである」ということを示しています。

 

岩垂:    菅さんご自身と人形が同等の距離感で写っていたそれまでの写真作品から発展されていますね。

 

菅:    そうですね。私自身は一歩引いて他者同士の関係性を眺めるという方向に変化しています。

 

井村:    実はこの資生堂ギャラリーでの個展と同時期に、僕はそのすぐ近くのサルヴァトーレ フェラガモ 銀座本店のウィンドウのプロジェクトをやっていたのですが、ちょうどこの頃から僕は菅さんのことを脅威として認識していました。

 

菅:    そうだったね。ちょうど井村くんも近くで展示していたんだよね。

 

井村:    僕の初個展では鏡の作品にかけて「mirrorrim」(mirror [鏡] + rim [縁])という造語の回文をタイトルにしていたのですが、菅さんの資生堂ギャラリーでの展覧会タイトルも「かそうのうそか」という回文にされていて、このタイトルを見た時に僕はもうビビっていました。僕は「mirrorrim」の真ん中の「o」を、菅さんは「かそうのうそか」の真ん中の「の」をそれぞれ円い鏡に見立てて前後を反射させるという、まったく同じような発想で展示タイトルをつけていたんです。

 

一同:    (笑)

 

岩垂:    その時からお二人は共鳴し始めていたんですね。

 

井村:    そうなんです。その後、先ほども話したようにTOKASでの菅さんの個展のタイミングでようやくご本人にも会うことができました。

 

菅:    この頃から私の作品が急に鏡に寄っていったから、きっと怖かったですよね?(笑)

 

井村:    最初はめちゃくちゃ怖かったですよ。ただ、実際に資生堂ギャラリーとTOKASでの二つの展示を見てからはその恐怖心が尊敬へと変わっていきました。菅さんは「僕はこの部分を気にして作っている」というこだわりのポイントに気づいてくれる理解者でもあるなと思っています。鏡というものを知っている人にしか分かり得ない微細な部分での気づきを誰かと共有できるようになったことが嬉しかったですね。

 

今回の個展を開催するにあたってギャラリーディレクターの河西さん、スタッフの折笠さんのお二人に作品についての説明をして、僕が在廊していないときはお二人がお客様にその内容をご説明してくれるわけですが、作品の説明をするためにはまず「そもそも鏡とは何か」を説明しなければいけないという状況があるんです。例えば油画や日本画、木や鉄などの単一素材で制作された彫刻作品を制作する作家であれば、わざわざ「この素材とは」という話はしなくても作品の説明が成り立ちます。一方で、鏡は一般的なはずなのに美術作品としてはニッチな領域であるがゆえに、まずは「鏡とは」を説明しなくてはならない。前提をすっ飛ばして会話が成り立つ絵画や彫刻と比べると、作品について話すときにタイムラグが生じてしまうもどかしさがあるのですが、菅さんとはそんな説明も省いていきなり作品の中身の話ができるので、貴重な仲ですね。

 

先ほど菅さんがおっしゃっていた1835年のドイツでガラス鏡が生まれたという話を知った時は僕は個人的にすごく感動しました。また表面と裏面(りめん)の話に戻ってしまいますが、それまでは金属の表面を磨いて鏡を作っていたところから、ガラスと金属のそれぞれの役割を組み合わせて作り上げるようになったことがすごく面白いなと思っています。ガラスはもっとも平らな形状を作ることができる上に透明であることから、ごく薄い金属であってもガラスの裏につけることで鏡面を保つことができるようになったわけです。このように、鏡にとってはガラスと金属の役割分担が非常に大事なんですよね。

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岩垂:    ガラスと金属は奇跡の出会いだったわけですね。

 

井村:    そうなんです。これってすごい発明なんですよ。それまでは金属の鏡をいかに平らに作るかということを全て職人技に頼っていましたが、作るのも難しい上に劣化もしやすい、大きいサイズも作れないといった難点が多かったため、特権階級のためのものでした。金属の鏡面にガラスを組み合わせるというのは一見遠回りにも思えるプロセスですが、実は一番制作しやすい方法だったわけで、別の素材を一枚挟んで鏡を完成させるという発想が素晴らしいなと感じています。こうした部分を感動し合えるのが菅さんとの仲ですね。未だに僕は鏡を「マテリアル」として認識できない部分があるのですが、それは鏡自体がミクストメディアとして完成されたものとして認識しているからであると思っています。

 

岩垂:    すでに鏡自体が金属とガラスが複合されているので、鏡を「素材」と呼ぶことに抵抗感があるということですね。

 

井村:    鏡自体が作品なのではないかと思っているところがあります。

 

菅:    井村くんの言っていることがすごく分かりますね。大きく平滑な鏡を作れるようになったのが1830年代で、その時代を起点に写真も発展していきます。元々写真はフィルムではなく金属板やガラスに焼き付けるものだったので、ガラスがなければ写真も発明されませんでした。この点で鏡と写真のそれぞれの歴史は並行して進んでいくわけです。私は元々現代アートとしては写真作品を制作していて古典技法にも取り組んでいたこともあったので、写真と鏡のつながりを見出し、すんなりと鏡の領域にも侵食していきました(笑)。

 

井村:    自分の領域が侵されているとは思ってないですよ(笑)。

 

菅:    井村くんが同世代であることをまったく知らなかったので、勝手に40〜50代の作家さんなのかと思っていました。

 

岩垂:    なぜ年上だと思っていたんですか?

 

菅:    私は東京藝大での在学が長く、博士課程まで修了しているので上の世代の方々は知っていました。35〜36歳くらいで先端の人であれば大体知っていたので、「井村くんは自分よりも若い現役の学生世代か先輩の世代だろう」となったときに、学生では井村くんのような作品は到底作れないだろうと思い、すごく年上の人なんだろうと想像してました。人柄と見た目は、職人的で山籠りしてるような人か、もしくは作品に関わるものすべてを外注しているチャラチャラしたホスト系のどちらかだろうなと思ってました(笑)。

 

一同:    (笑)

 

井村:    自分のような作風の人がまさか関西弁をしゃべるとは思わなかったでしょうね。

 

菅:    たしかに、思ってませんでした!

 

岩垂:    私にとっては関西出身の方が鏡を扱った作品を作ることに違和感はありませんでしたね。関西はスピリチュアルな場所であるイメージがあり、鏡もスピリチュアルな存在なので京都出身の井村さんが鏡に興味を持つというのもごく自然なことのように思います。

 

井村:    もちろん神社に鏡があったりしますが、先ほどもあったように鏡はお金持ちのものだったのでどちらかというと都会文化で、もう少し僕に対しても都会人のイメージを持たれるのかなと思っていました。

 

菅:    井村くんの作品は仕上げがあまりにきれいなので、全部外注しているのかと思っていました。見た目もスタイリッシュなので、尖った靴を履いたホスト風の人物を勝手に想像していました(笑)。

 

岩垂:    ビジネス的に取り組んでいる印象だったのでしょうか?

 

菅:    そうです。外注せずに全部自分で制作しているのだと本人に会う前に知り、逆にすごくゴツい山男のような人なんだろうと思ってましたが、実際に会ってみたらだいぶほっそりした人でびっくりしました(笑)。

 

井村:    〈wall-ordered〉も自分で配線等の構造を考えたり、額装も自らしていたり、どの作品も自分で制作する部分が多いです。〈wall-ordered〉は数列の可視化がテーマとなっていて、今回の個展でも一番奥で新作を展示しているのでご覧いただきたいのですが、この作品は菅さんのライトを加工するアプローチとは対照的に、鏡に可変を与えています。ひし形の鏡の中心部分が凸状に膨らんでいて、平らな部分は同じサイズの数列で反射が奥側に続いていくのですが、中心の円形部分の中ではだんだん反射が小さくなっていき、一つの作品の中に勾配と収縮の2つの数列が込められています。

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《wall-ordered 360°》
2024 | glass, aluminum, LED, frame | 500 × 500 × 100 mm
個展「折衷案がもたらすNレンマ」展示風景 | photo by Yuki Kawanishi

このシリーズは数年に渡って取り組んできたのですが、初期は既製の鏡を組み合わせて制作していました。そんな中で「鏡自体を作れたら面白いだろうな」と思い、鏡とはそもそも何なのかを調べてみたところ、膨大な鏡の歴史に行き着きました。そこで「歴史上のあらゆる鏡を作ってみよう」という意識での作品制作がスタートしました。例えば水を回転させることで水面を平らにして鏡に見立てた作品(左下)や、銅鏡などが登場する以前にトルコでは黒曜石を磨いて鏡にしていたという事実を参照し、黒曜石を溶かして制作した作品もあります。

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《narcissus telescope》
2021 | photo by Kenryou Gu

《obsidian buck》
2021 | photo by Kenryou Gu

鏡としての黒曜石

〈鏡としての黒曜石

井村:    黒曜石の初期作品ではなかなか溶かすのが難しく発泡していたりもするのですが、無理矢理ガラスと組み合わせて鏡の形にしていこうと制作したのが《obsidian buck》です。この作品を起点に少しずつ黒曜石を溶かせるようになっていったのですが、完全に溶かせるようになるとなぜか黒ではなく緑色になり、磨いていくと宝石のようになるのですが、先ほどお話した歴史に習うとこれも鏡と定義できるのではないかということで制作しました。

僕は学部は京都市立芸術大学で美学を専攻していたのですが、リサーチする方法として実際に自分でも手を動かした方が分かることが多いのではないかと思い、その頃から作品制作をしていました。そしてコロナ禍真っ只中に開催した初個展では、それまで制作してきた鏡の作品を網羅的に発表しました。

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井村一登個展「mirrorrim」展示風景(2021年、MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY)
photo by Kenryou Gu

この展示には、鏡の歴史についての論文を書くような意識で取り組みました。自分が鏡について知りたいことの全てを満足するまでとことん突き詰めてみようという感覚で作り上げた展示ですね。

岩垂:    一貫して様々な手法を通して鏡が持つ可能性を研究されていたのですね。黒曜石は磨けば本当に鏡になるのでしょうか?

井村:    なりますよ。5時間くらい磨き続けると、スマホの画面がオフになっているときに自分の姿が映るような形で反射するようになります。とはいえ、実際に黒曜石を鏡として使っていた時代にはそこまで高い研磨技術があったわけではないと思うので、どちらかというと太陽光を反射させて遠くに光を届ける手段として使っていたのかなと思います。銅鏡が歴史の中であまりに認知されているがゆえに、黒曜石が鏡の役割を担っていたことはあまり知られていません。実際日本では黒曜石を鏡として使うというのは伝わっていなかったようです。

菅:    黒曜石自体は日本でも出土はしているんだよね?

 

井村:    そうですね。ただ、いずれも磨かれてはいなかったそうです。

 

黒曜石は火山の噴火によってできたガラス質の石であり、トルコで出土した黒曜石の鏡は紀元前6200年頃に制作されたといわれています。先ほど話に挙がったように金属鏡の時代は一時期ありましたが、黒曜石の鏡の時代から約8千年経った現代でも当時と同じガラスという素材で鏡を作っているということ自体が面白いなと思ったこともあり、作品に黒曜石を取り入れました。

 

今回の個展でも展示している立体作品〈mirror in the rough〉はガラスが水色ですが、調色しているわけではありません。このガラスは様々な土地で集めた砂を溶かすことでできているのですが、色は制作段階で自然にできたものです。

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《mirror in the rough 3928g》
2024 | glass, aluminum | H150 × W204 × D105 mm
個展「折衷案がもたらすNレンマ」展示風景|写真:タイラ キントキ

一般的には窓や鏡に使われているタイプのガラスで、実は平面の〈tele portrait〉にも同じガラスを使っていますが、薄い板状の場合は無色に見え、分厚くなってくると色が見えてきます。このガラスは、砂を溶かして制作していくなかで、砂が採集された土地によって成分が変わっていきます。黒曜石も同様で、例えば北海道のある山で採った石でも山頂か麓では成分の違いにより、黒色だけでなく赤色の石も採掘されています。ブラジルでは緑色の黒曜石が採れたこともあったそうで、その話を聞いた時「緑色の黒曜石なんて偽物だろう」と思っていたのですが、実際に作品制作で同様の色の黒曜石(下記画像)が出来上がったことで、「こんなことも起こり得るんだ」という気づきがありました。

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「マツモト建築芸術祭」展示風景(2023年、信毎メディアガーデン)
写真:宮川悠之介

​岩垂:    これらの作品では割ったり磨くだけではなくて、黒曜石自体を作っているのですか?

 

井村:    そうなんです。群馬県の岩宿遺跡という日本国内で初めて石器が出土した場所があり、そこにある岩宿博物館の石器サークルで僕は石器作りを習っています。それまで日本では縄文時代が最古の時代だとされていたのですが、岩宿遺跡で打製石器が見つかったことにより旧石器時代が日本にも存在していたことが証明され、それをきっかけに岩宿博物館が生まれました。

 

この博物館の元館長である小菅将夫さんが僕の師匠なのですが、小菅さんは資料用に石器を割られているんです。というのも、石器そのものだけでなく石器を作る際にできる破片も資料になるので、新たに黒曜石を割る必要があります。そうして小菅さんは30年ほど黒曜石を割って石器作りをされていて、僕はその方に習っています。

 

実は2021年に初個展をすると決まった時点でまだ鏡の作品にフォーカスするとは決めていませんでした。黒曜石を作品に使い始めたのも、それまでの作品が無彩色のものが多かったのと、ものづくりの起源でもある黒曜石を使ってみようという意識で岩宿遺跡に行き石器作りを習い始めたのがきっかけで、その時は黒曜石が鏡であったことは知りませんでした。石器サークルの方々と石器を作りながらふと「石を割ったときに出てくる破片がもったいないですよね。これをもう一度溶かして作品にしたら面白いですよね」という話になったところから黒曜石の作品が生まれたのですが、実はそれが鏡につながっていくとはその当時は想定していませんでした。それもあって、その後の鏡の歴史との出会いに何か運命的なものを感じたんですよね。

 

河西:    黒曜石を使った作品は、色々な土地から採掘された石の破片を溶かして作られているのでしょうか?

 

井村:    そうです。石器サークルのメンバーたちが全国様々な土地で採れた黒曜石を持ち寄って、それらの破片を使っているんです。例えばこの《tooloop》も黒曜石を用いた作品で、TOKYO MIDTOWN AWARD 2022の展覧会で発表しました。この作品は色々な土地から集まって一つの塊になった黒曜石を展示会場で割って石器を作り、その破片も含めてすべて作品にするというものです。展示会場が六本木という土地で、その中でも特に多くの人が行き交う東京ミッドタウンの地下という公共空間だったので、「全国各地から石が集まり、溶けて一つになり、割られ、石器になっていく」という一連の流れによって「記憶を共有し合う破片」が生まれる様子が、展示会場のような公共空間に人々が出会い、会話をして、各人が持ち寄った情報を共有し、散っていくことに重なるなと感じています。

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《tooloop》
「TOKYO MIDTOWN AWARD 2022 EXHIBITION」展示風景(2022年、東京ミッドタウン)

ただ、そうしたコンセプトの面よりも石器を割るということ自体が面白すぎたのか、そちらの行為の方にばかり注目されてしまいましたね。

 

岩垂:    どういう文脈をもってこの行為に行き着いているのかがなかなか伝わりづらかったのかもしれませんね。

 

井村:    「黒曜石が鏡だった」ということをまずは前提として説明しなくてはならないんですよね。黒曜石に限らずどの素材を使うにしても鏡の作品を発表する際、やはり「そもそも鏡とは」を説明する必要があって、そこにジレンマを感じてしまいますね。

 

菅:    打製石器は、人間が生み出してきたものの中で一番古いもので、ホモ・サピエンスが生まれる前から存在していたネアンデルタール人*3 の時代から作られていたといわれています。実は私はネアンデルタール人の化石をクリーニングするというアルバイトをやっていたことがあったんです(笑)。

 

(一同驚く)

 

菅:    なので、井村くんが打製石器の話をし始めた時に「私、7万年前の化石のクリーニングしてたんだよね」という話で盛り上がりました。そのバイトで打製石器で切った骨とかも扱っていました。打製石器はけっこう切れ味が良いんですよ(笑)。

 

井村:    そうなんですよ。何度怪我したことか(笑)。

 

菅:    石器を作っているという話を聞いて「井村くんはこんなに人間の根源的なことまでやっているんだ」とめちゃくちゃ感動したんです。「黒曜石を溶かして素材を作り出すところから自分でできるんだ」と。

 

井村:    素材から自分で作るというプロセスを選ぶ理由につながるかなと思うのですが、僕は作品を作ることを目的に既製の鏡を割ることに抵抗があります。僕は鏡を作ることに感動しているような人間なので、他の作家が鏡を割って作った作品を見ても「大変な思いをして作ったものを割るなよ」と思ってしまうんですよね。なので、僕の作品制作のプロセスに破壊行為を含む場合は、破壊するもの自体を自分の手で作らないと気が済まないんです。これは作品のコンセプトというよりは、鏡を作ってきた人々に対する礼儀だと思いますね。こういう理由もあって原始的な手法を扱うようになったのだと思います。また、実際に自分でやってみないとわからないことが多いので、もともとは研究の一環としてやっていたことがスピンオフ的に作品になっている感覚がありますね。

 

岩垂:    鏡と人間の歴史的な関係の根源に立ち返ってみよう、という試みが黒曜石の作品に表れているんですね。

菅:    私は鏡の歴史はヴェネツィアングラスが使われていた時代以降のことしかあまり詳しくなかったので、自然物を磨いて鏡として使われていたことは知らず、石器作りが鏡につながっていくのは驚きでしたね。

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脚注

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*3   ネアンデルタール人:約4万年前までユーラシアに住んでいた旧人類の絶滅種または亜種である。ネアンデルタール人がいつ登場したかは明らかではない。ネアンデルタール人がその祖先であるホモ・ハイデルベルゲンシスから分岐した時期が明らかになっていない。諸研究では、31万5000年前から80万年以上前までの様々な時期が示されている。(Wikipedia参照)
 

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