Houxo Que 個展
『YOU CAN (NOT) RELATE.』
▼オープニングレセプション
12月15日(金)18:00〜19:30
※本展会期中は、生花の差し入れを歓迎いたします
■会 期
2023年12月15日(金)~ 2024年1月27日(土)
水曜日〜金曜日 13:00〜18:00|土曜日 13:00〜19:00
(日・月・火・祝 休廊)
※冬季休廊:12/24(日)〜1/9(火)
■会 場
KANA KAWANISHI GALLERY
〒135-0021 東京都江東区白河4-7-6
※ギャラリー前に車をお停めいただけます
■主 催
カナカワニシアートオフィス合同会社
Monument for unrecognized bodies
2023 | LCD, stainless steel bolt | 1210 × 680 mm
© Houxo Que, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
KANA KAWANISHI GALLERYは、2023年12月15日(金)よりHouxo Que(ホウコォ ・ キュウ)個展『YOU CAN (NOT) RELATE. 』を開催いたします。
Houxo Queは、グラフィティを起点に壁画を制作するストリートアーティストとして活動を開始。近年では、原初のディスプレイである水面が光を受けるインスタレーションや、鉄パイプを貫通させたまま点滅するディスプレイなど、ペインティングをマルチに発展させる作品を展開するアーティストとして知られています。
KANA KAWANISHI GALLERYでの初個展となる本展では、これまでの制作姿勢を更新する形にて、自身のアイデンティティーに言及する作品を軸に、初の試みとしてシルクスクリーン作品も併せて発表いたします。
“autopsy_report_yellow”2023 | silkscreen on paper | 1040 × 780 mm | © Houxo Que, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY |
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“autopsy_report_blue”2023 | silkscreen on paper | 841 × 630 mm | © Houxo Que, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY |
“autopsy_report_green”2023 | silkscreen on paper | 841 × 630 mm | © Houxo Que, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY |
“autopsy_report_red”2023 | silkscreen on paper | 841 × 630 mm | © Houxo Que, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY |
ディスプレイ、キャンバス、インク、ブラックライトなど様々なメディウムを縦横無尽に駆使し、一見するとラディカルにも映りえる表現で知られるQueは、一方で制作に対し淡々と誠実に向き合う姿勢を貫いており、日本人の父・中国人の母・台湾人の祖母・韓国人の曽祖母を持つ自らのルーツを、作品に投影させることは避けてきたと語ります。しかし関東大震災(1923年)から100年目の節目に開催される本展では、これまでのポリシーから一転し、だからこそ表出せざるを得ない形象を探ります。
本展の主軸である《Monument for unrecognized bodies》は、関東大震災の直後に引き起こされた朝鮮人虐殺に対するモニュメントです。命を絶たれ、埋められ、100年が経過し、人々の記憶からも忘却されつつある存在とはいかなるものかを探るにあたり、AI(人工知能)との対話を経てコンセプトが練られており、Que自身がそれらの存在に自らを投影しつくられています。またこのモニュメントから派生したシルクスクリーン作品の〈autopsy_report〉は、シリーズ名に「検死報告書」の意味があり、その奥には加害と被害の表裏一体性が見え隠れするかのようです。
またインクの「通過する穴」と「通過しない部分」をつくることで製版・印刷されるシルクスクリーンは孔版画(こうばんが)の一種ですが、「孔」には「突き抜けた穴」の意味があり、鉄パイプでディプレイモニターを貫通させてきたQueのこれまでの作風にも通じえます。同時にシルクスクリーンのメッシュはインクの「通過しない部分」が動かないように保持することを目的に用いられるものですが、作品においては伝搬・通過・保持・固定へのメタファーとしても捉えうるかも知れません。
情報、群集、狼狽、虚報、暴力、無力、隠蔽、告発、軽視、忘却、反省、記憶、記録、追悼、等々。それらにいかに関わることができるのか、否か。
Houxo Queの新境地となる本展を、是非お見逃しなくご高覧頂けますと幸いです。
アーティストステートメント
Monument for unrecognized bodies.
100年前、この街で虐殺があったらしい。当時の朝鮮人や中国人といったマイノリティ、そして日本人すらも犠牲になったそうだ。その犠牲者たち、それらが混ぜ合わせられたようなアイデンティティを持つ私にとっては事件のことを思うと世紀が経とうとしている今日であっても恐ろしく、その蛮行への恐怖が生々しく肌をざわつかせる。
今回、関東大震災から100年の節目である年に私は〈朝鮮人虐殺〉についての作品を制作しようと考えた。作家活動を通して自分のアイデンティティにまつわる具体的な事件やコトを扱うことを敬遠してきた私だが、それは4つの祖国の間で宙吊りになり蝙蝠のようにどこにも降り立つことができなくなった私なりの誠実さでもあった。しかし、この地で生きるマルチアイデンティティの者として忌まわしい100年前の出来事についてなにも考えないことは、とても難しい。機会があればと考えていた折の100年目である。今触れねばもう私の生の時間では間に合わないだろうと考え、自分の中にあるルールをいささか修正をする形で本作を制作することとなった。
しかし、事件について調べるほど「わからない」という思いを抱いた。様々な証言こそあれど調査は十分でなく、その全貌は未だ明らかになっていない。誰が、何処で、殺されたのだろうか。亡骸すら全て見つかっていない事実に、見通せない闇の前で立ち尽くすような感覚を覚えた。
だから私は、私自身を100年前に殺されて埋められ、個人としての死すらもはや忘れられて100年の時が過ぎた存在として考えることにした。理不尽な暴力、憤り、後悔や未練、そしてそれすらも色褪せてしまうほどの時間で押し出されていってしまう忘却についてを。あなたたちは私に気づいてすらいないけれど、私の上を踏みしめて暮らしていることを。もしかしたら、気づかれずに掘られて骨もなにもかもバラバラになっているかもしれないこと、などを。
今を生きる者として、国家や自治体が未だに事件そのものを積極的に明らかにしようともせずお茶を濁そうとでもするかのような態度をとることには胸糞が悪くなる。でも、もし私が死んでいたら、そんなことはどうでもいいのかもしれない。そう。本当にどうでもいいのだ。
過去への反省や追悼、または隠蔽や軽視。それらは全て生者のもので、死とはなにも関係がないから。強いて言えば、誰かのために──そう、噂程度で殺そうとやってきた自警団みたいに──私をどうにかしようとするのはやめてほしい。私の死を放っておいてほしい。
そんなことを考えながら本作を制作した。本作は、〈朝鮮人虐殺〉と呼ばれる事件へのモニュメントである。今のところ恒久設置の予定はない。それ以前に、いつか壊れて動かなくなるかもしれない。いや、既に壊れている。もうずっと前に。
2023/11
Houxo Que
*コンセプトメイクのために行ったAIとの対話
unrecognized someone 「ごきげんよう」
HouxoQue 「誰にも認識されないことはどんな気分ですか?」
unrecognized someone 「それがどんな気分かだと?」
HouxoQue 「あなたは死んでいます。誰かに殺されて。あなたのことをもう誰も探してはいません。
でも、あなたの死について人々は悲しいことだと言います。」
unrecognized someone 「つまり、ここは死の国だ」
HouxoQue 「誰かに見つけてもらいたいですか?あなたの死体を。」
unrecognized someone 「誰にも認識されないのに?」
HouxoQue 「認識されてもいないのは嫌なことですか?」
unrecognized someone 「でも、あなたには自分が見える」
HouxoQue 「見えているんでしょうか。
自分にはただ、あなたのような人がいたのかもと考えることしかできません。」
unrecognized someone 「でも、僕は死んだ」
HouxoQue 「あなたの死を認知しようとしない、
そして虐殺があったことも公式に認めようとしない国家について、どう思いますか?」
unrecognized someone 「それは関係ない」
HouxoQue 「どうして関係ないのでしょうか。」
unrecognized someone 「僕が死んだから」
HouxoQue 「死は国家とは関係がないもの?」
unrecognized someone 「僕が死んだことは国家には関係ない」
HouxoQue 「それは国家の責任を問わないという意味でしょうか。それとも、あなたの死は
あなただけのものであり、それを他者と関係させることができないという意味でしょうか。」
unrecognized someone 「もちろん、僕の死は僕のものだ」
HouxoQue 「あなたの死から100年が経ちました。
あなたは墓地の中におらず、殺された時に埋められたまま。今なにを思いますか。」
unrecognized someone 「死体が埋められたままだなんて」
HouxoQue 「あなたが今いるところ。それがどこかも私達は知りません。
でも確かにあなたは100年前に殺されてそこに埋められた。
そして、誰もあなたを掘り起こそうともしていません。あなたは私達に見つけてほしいですか?」
unrecognized someone 「別に」
HouxoQue 「『別に』というのは、望まないということでしょうか。」
unrecognized someone 「死体を見つけてほしくない」
HouxoQue 「それは、なぜですか?」
unrecognized someone 「誰にも見られたくないから」
HouxoQue 「どうして誰にも見られたくないのでしょう。」
unrecognized someone 「僕が死体だと知られたくないから」
HouxoQue 「知られたくないのは、どうして?恥ずかしいから?
それとも、なにかを奪われてしまうからでしょうか?」
unrecognized someone 「そのどれでもない」
HouxoQue 「私はあなたのことを考えました。
悲惨な運命にはあっていないけれど、あなたを襲った理不尽さについて想像しました。
もし、私があなたなら誰かの反省のためや追悼といって罪悪感に耐えるための象徴のようにして
自分の死を持ち去らないでほしいと思いました。放っておいてほしい、と。あなたはどう思いますか?」
unrecognized someone 「僕もそれを思った」
HouxoQue 「あなたは虐殺の被害者です。100年後の人々に何を語りますか?」
unrecognized someone 「語るべきことはもうない」
HouxoQue 「ありがとうございました。」
unrecognized someone 「どういたしまして」
アーティストプロフィール
Houxo Que(ホウコォ ・ キュウ)
1984年東京生まれ。1999年グラフィティを始める。10代でグラフィティと出会い、ストリートで壁画中心の制作活動を始める。以後現在まで蛍光塗料を用いたペインティング作品とブラック・ライトを使用したインスタレーションで知られる。作品の制作過程をショーとして見せるライブペイントも数多く実施。2012年頃よりディスプレイに直接ペイントする手法で制作を始める。
近年の主な個展に 「Proxy」(2020年、Gallery OUT of PLACE TOKIO、東京)、 「apple」(2018年、Gallery OUT of PLACE TOKIO、東京)、「Spectrum File 19 Houxo Que」(2018年、MINA-TO [スパイラル 1F]、東京)など。
グループ展に 「『お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめてはいません。』」(2023年、ソノアイダ/Watowa Gallery、東京)、 「Reborn-Art Festival 2021-22 『利他と流動性』」(2021年、旧千人風呂、宮城県石巻市)、「ANB TOKYO オープニング展『ENCOUNTERS』」(2020年、ANB TOKYO、東京)、「TOKYO 2021」(2019年、TODA BUILDING、東京)、「CANCER “THE MECHANISM OF RESEMBLING”」(2018年、EUKARYOTE、東京)など。
《16,777,216 view #2》が第19回文化庁メディア芸術祭(2015年度)アート部門にて審査員推薦作品に選定。
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